保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

森会長の辞任について(2) ~多様性という画一~

《遅きに失している。ジェンダー平等や個人の自由への意識が低い国として、国際社会における日本の地位を低下させた責任も重大だ》(2月12日付北海道新聞社説)

 果たして日本は<ジェンダー平等への意識が低い国>なのか。

f:id:ikeuchild:20210213015657p:plain

 この結果を見れば、むしろ日本は<ジェンダー平等への意識>が高い国と言えるのではないか。否、そもそも世界は<ジェンダー平等>に価値を置いていないということなのだろう。つまり、北海道社説子の言っていることは単なる思い込みに過ぎないということである。

《男性中心や上意下達がはびこる組織のうみを出し切り、多様性と透明性の尊重を国民に示していく改革が必要だ》(同)

 このような主張は、どさくさに紛れて日頃の不満を全部詰め込んだ感がある。具体的な状況を差し置いて、このような抽象論をぶつべきではない。例えば、実際、東京五輪組織委員会が<男性中心>なのだとしても、何が問題なのかを具体的に指摘しなければ改革の仕様がない。抽象論だけで改革を迫れば、能力不問の単なる男女の数の平等ということにしかならないだろう。

 <多様性の尊重>と言うに至っては何を言いたいのかが分からない。一体委員会をどう多様化せよと言うのだろうか。

《森氏は3日の日本オリンピック委員会(JOC)の臨時評議員会で「女性がたくさん入っている理事会は時間がかかる」「組織委の女性はわきまえている」などと発言した。性別とは関係ないレッテル貼りで偏見や差別を増長させることに加え、自由な意見を言わせない言論封殺という問題もはらんでいる。

 多様性を重んじる現代社会にあって時代錯誤も甚だしい》(同)

 <性別とは関係ないレッテル貼り>も意味不明である。「理事会における女性理事の発言時間が長い」、「組織委の女性が自分の立場を弁えている」というのは性別と大いに関係が有る。<偏見>だの<差別>だのといってこれを増長させているのはマスコミの方ではないか。

 <自由な意見を言わせない言論封殺>というのも単なる言い掛かりである。確かに、本人がいないところで女性理事(女性一般ではない)を批判したことは問題だったと言えるだろう。が、今の世の中、幾らでも反論の場はある。<言論封殺>などというのは、「針小棒大の新聞の報道」(中江兆民)と言うより他はない。

 <多様性を重んじる現代社会>というのも気になる。いつから現代社会は<多様性を重んじる>だけの「単色社会」となったのか。<多様性>を絶対と考えること自体が「反多様」でしかない。何かあるとすぐ<多様性>という言葉を持ち出す人間の方がよほど画一的ではないか。

《今回の発言は、スポーツ界に巣くうパワハラ的な体質を表出させたともいえる。大学アメリカンフットボールの悪質タックル問題のように、閉鎖的な組織内の暴力やセクハラが問題になってきた》(同)

 が、悪質タックル問題は不起訴になっている。仲間たちの証言は偽証だったからである。新聞が最後まで問題を追い掛けるということをしない無責任な媒体であることがうかがえる。【続】