保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

令和元年終戦の日(3) ~謝罪の意味~

《国民の一部にある「いつまで謝罪をしなければならないのか」との思いに応えたのだろうが、政治指導者が加害と反省に言及することをやめたらどうなるのか。

 多大な犠牲を出した戦争への責任を国家として感じているのか、本当に反省しているのか、という疑念を、アジア諸国のみならず世界に与えてしまう》(8月16日付東京新聞社説)

 かつて村山富市首相(当時)、土井たか子衆議院議長(当時)が東南アジアへ謝罪の旅に出かけたときのことである。

《1994(平成6)年8月、東南アジアを歴訪した村山富市首相に対して、マレーシアのマハティール首相が「日本が50年も前に起きた戦争を謝りつづけることは理解できない」という趣旨のことを言われた。このことは、日本の一部マスコミも報じたから、ご記憶の方も多いだろう。

 また、マハティール首相は「日本に対して、今さら戦後賠償を求めるようなことは、わがマレーシア国民にはさせない」ということも語ったという。

 このマハティール発言に対して、わが村山首相は、何の言葉も返せなかった。

 なぜなら、村山首相の東南アジア訪問の最大の目的は、これらの国々に対する「謝罪外交」であったからである。❝日本の侵略戦争❞ のお詫びをするつもりで行ったら、相手から「過去の話は、もううんざりだ」と言われたのだから、社会党の村山首相が黙してしまったのも当然のことだ。

 同じことは、同じころに東南アジアを回った土井たか子衆議院議長に対しても起こった。

 外国の、しかも、かつて戦場となった東南アジアの国家元首から「過去の謝罪よりも、将来のことを話し合おう」と言われたことは、日本の政府がこれまで行なってきた〝謝罪外交″が、いかに奇妙な、理屈に合わないものであったかを、端的に示している》(渡部昇一『かくて昭和史は甦(よみがえ)る』(クレスト選書)、p. 14)

《戦後に生まれ、今年即位した天皇陛下は追悼式のお言葉で「ここに、過去を顧み、深い反省の上に立って、再び戦争の惨禍が繰り返されぬことを切に願い」と述べられた。戦後七十年の一五年以来、お言葉に「反省」を盛り込んだ上皇さまを受け継いだ形だ》(同、東京新聞社説)

 <深い反省>とは何に対する反省なのか。それを具体的に言うのは「野暮」であり、曖昧にするのが「知恵」ということなのかもしれないが、東京社説子のように日本がアジアを侵略したことに対する<反省>と、私のように結果として日本人のみならず多くのアジアの人々を死に追いやり傷付けた大東亜戦争を回避できなかったことに対する<反省>とは反省は反省でも反省の意味合いがまったく異なってくる。

 悪いことをすれば反省し謝罪するというのが日本社会では「善き振る舞い」なのかもしれないが、他国も同じ感覚を持っているとは限らない。おそらく多くの国では謝ることは政治的な負けを意味するだけで、倫理的、道徳的に評価されることはないように思われる。

 悪かったと言うのなら賠償してくれるのかと思いきや、賠償のばの字もなく、ただ潔き謝罪で悦に入っている、日本はそんな変な国だと思われているだけなのではないだろうか。【了】