《ウクライナ戦争や中東の紛争が長期化し、国際情勢は激変している。先進7か国(G7)の一角を占める日本は外交力を発揮し、国際社会の安定に貢献すべきだ》(2024年10月28日付読売新聞社説)
確かに、日本は「先進国」の一角を占めている。が、だからといって、日本が世界の指導者だと世界が認めているわけではない。故安倍首相が特殊だったのであり、岸田前首相にせよ、石破新首相にせよ、世界は何の指導力も期待してはいないに違いない。あるとすれば、日本を金蔓(かねづる)として使いたいということだけであろう。実際、歴代首相は、海外支援し続けている、否、し続けさせられている。
《日本周辺の安全保障環境はかつてないほど悪化している。防衛力の強化はもとより、日米同盟を深化させるとともに、友好国を増やしていく必要がある》(同)
〈日米同盟の深化〉とは具体的に何か。深化するとすれば、日本が集団的自衛権の名目で、これまでのような後方支援ではなく、実戦に参加するということに恐らくなるのだろう。マスコミとしての自負があるのなら、曖昧な言い方で誤魔化すのはやめるべきだ。
〈友好国を増やす〉というのも無責任な言い方だ。安倍政権は、チュウゴク包囲網を敷くべく、「TPP」(環太平洋パートナーシップ)や「日米豪印戦略対話」(QUAD)を創った。これを前へ進めることが日本の国益に繋がるであろうことは明らかである。が、チュウゴクに阿(おもね)る人達がこれを邪魔しようとしているのであろう。石破首相は、「アジア版NATO」創設を主張するが、ここにはチュウゴクが入ってもいいらしい。対ソ包囲網のNATOと同様の構図がアジア版NATOということであろうから、それは対中包囲網のはずである。が、対中包囲網のNATOにチュウゴクも入れるとしたら、何のためのアジア版NATOか分からないのは子供でも分かることである。米国でもインドでも馬鹿にされ一蹴(いっしゅう)されたのも無理はない。
《野党の選挙戦術もあって、政治とカネの問題が焦点となったのはやむを得ないとしても、国政の課題を蔑 (ないがし)ろにするような事態は避けなければならない》(同)
これも解(げ)せない話で、この総選挙の争点を〈政治とカネの問題〉にしてしまった責任の一端は、否、主たる責任はマスコミにある。
《現在のアメリカや日本は、いずれも主権在民の民主国家です。国民が政治を決定する。それは無条件に良いことなのでしょうか。
民主主義の本質は主権在民ですが、主権在民とは「世論がすべて」ということです。そして、国民の判断材料はほぼマスコミだけですから、事実上、世論とはマスコミです。言い方を変えると、日本やアメリカにおいては、マスコミが第1権力になっているということです。
ロックやモンテスキューの言い始めた「3権分立」は、近代民主制の基本となっていますが、現実にはこの立法・行政・司法の3権すら、今では第1権力となったマスコミの下にある。民主主義がそんな事態に陥ることは、誰も想像していなかったのではないでしょうか。
政治においては「ポピュリズム」ということがよく言われますが、民主主義国家でこれだけマスコミが発達すれば、行政がポピュリズムに流れるのはほぼ必然でしょう。立法も同じです。立法を担っているのは政治家で、その政治家を選ぶのは国民なのですから》(藤原正彦『国家の品格』(新潮新書)、pp. 80f)