《「政治とカネ」の問題にけじめをつけられない自民党に「ノー」を突きつける有権者の審判だ。変革を望む国民の期待を裏切る形となった石破茂首相への失望感の表れでもある》(2024年10月28日付毎日新聞社説)
〈「政治とカネ」の問題にけじめをつけられない〉のは自民党だけの問題ではない。日本の政治全体の問題である。にもかかわらず、自民党だけが問題であるかのように報じ、有権者を自分たちの思う方向に誘導しようとするマスコミこそが、私は諸悪の根源ではないかと思っている。
かつて「椿事件」というものがあった。日本民間放送連盟(民放連)会合で、テレビ朝日の取締役報道局長であった椿貞良氏が次のような発言をしたことが問題となった事件である。
「小沢一郎氏のけじめをことさらに追及する必要はない。今は自民党政権の存続を絶対に阻止して、なんでもよいから反自民の連立政権を成立させる手助けになるような報道をしようではないか」(「椿事件」:ウィキペディア)
が、これは、
放送法 第4条2 政治的に公平であること。
に明らかに違反している。
西部邁氏は、「マスコミこそが第一権力だ」と言う。
《民主主義が形成される途上にあっては、旧体制にたいする反権力を代表するという意味で、マスコミは権力の外部にあった。しかし民主主義がひとたび確立されてしまえば、マスコミは権力の先頭に立つのだ。司法、行政、立法の3権に優越する第1権力を握るのはマスコミである。それもそのはず、世論にもとづくのが民主主義の大原則なのであるから、その世論を操作しうるもの、あるいは世論に深甚な影響を与えうるものが第1の権力者となって何の不思議もない。
マスコミ人士が第1権力者として故意に横暴を振るっているというのではない。マスコミは自らの地位をきちんと認識しておらず、今も反権力のがわにいると錯覚している。それゆえ、マスコミが世論を動かしつつ自分以外の権力を瓦解(がかい)させてしまうと、そこに出現するのは権力の不在状態である。反権力が権力の座に登るとき無秩序が到来する。マスコミの横暴にチェックがほどこされる1つの契機、それはマスコミが自分の第1権力者としての地位をきちんと認識することである》(西部邁「第1権力としてのマスコミ」:『マスメディアを撃て』(PHP)、p. 62)
《自民の最大の敗因は、第2次安倍晋三政権以降に深刻化した政治のゆがみやおごりを、根本から正そうとしなかったことだ》(同、毎日社説)
選挙前自民党がやってきたことは、旧安倍派潰しの「内紛」である。旧安倍派議員を追い落とすために、旧統一教会だの、裏金だのと言い立てた。が、このことで旧安倍派議員だけでなく、自民党自体も痛手を負った。そのことが分からずに、嬉々として旧安倍派議員を叩き続け、総選挙に臨み、負けるべくして負けたのである。【続】