保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

自民党総裁選:選択的夫婦別姓はリトマス試験紙(2) ~何が問題か~

ここで「選択的夫婦別姓」の何が問題なのかを少し考えてみよう。

 家族とは、慣習継承の最小単位である。「継承」には世代の異なった者が必要である。伝統文化から礼儀作法に至るまで、「家族」あればこそ過去は現在を経て未来へと引き継がれていく。

 が、今その「家族」が揺らいでいる。それが「選択的夫婦別姓」問題である。夫婦が別々の姓を名乗ること、そのことだけであれば大した問題であるとは思われないかもしれない。が、別姓夫婦が営む「家族」とは果たしてどのようなものになるのだろうか。例えば、子供は両親のどちらか一方と同性となり、他方と別姓にならざるを得ない。

 我々は生活のほとんどを「慣習」に従って営んでいる。この「慣習」が安定的であればこそ、我々の生活も安定する。その「慣習」を包蔵しているのが「家族」である。

 が、夫婦が別姓となれば、当然「家族」は揺らぐ。「家族」が揺らげば、「社会」も不安定にならざるを得ない。子供たちは社会生活を通して「慣習」を身に付けるが、「家族」が揺らげば子供たちが混乱することは避けられない。

It(=the British Constitution) is the result of the thoughts of many minds in many ages. It is no simple, no superficial thing, nor to be estimated by superficial understandings. An ignorant man, who is not fool enough to meddle with his clock, is, however, sufficiently confident to think he can safely take to pieces and put together, at his pleasure, a moral machine of another guise, importance, and complexity, composed of far other wheels and springs and balances and counteracting and coöperating powers.

Men little think how immorally they act in rashly meddling with what they do not understand. Their delusive good intention is no sort of excuse for their presumption. They who truly mean well must be fearful of acting ill.

The British Constitution may have its advantages pointed out to wise and reflecting minds, but it is of too high an order of excellence to be adapted to those which are common. It takes in too many views, it makes too many combinations, to be so much as comprehended by shallow and superficial understandings. Profound thinkers will know it in its reason and spirit. The less inquiring will recognize it in their feelings and their experience.

Edmund Burke, APPEAL FROM THE NEW TO THE OLD WHIGS

(それ(=英国の國體(こくたい))は、多くの時代における多くの頭脳の思考の結果である。それは決して単純なもの、表面的なものではなく、表面的な理解で評価され得るものでもない。無知な人間は、自分の時計を弄繰(いじく)り回すほど愚かではないにしても、全く別の歯車やバネ、天秤、打ち消し合ったり協力し合ったりする力から成る、別の装い、重要性、複雑さを持つ道徳的機構を、自分の好みで、安全に分解し組み立てられると考えるに足る自信がある。

人は、自分が理解していないものを軽率に弄繰り回すことがどれほど不道徳な行為であるかほとんど考えない。欺瞞(ぎまん)的な善意は、決してずうずうしさの言い訳にはならない。真に善意ある人は、悪事を働くのを恐れるに違いない。

英国の國體は、賢明で思慮深い頭脳には利点が注目されるかもしれないが、一般人に順応させるには高尚過ぎる。余りにも多くの意見を取り入れ、余りにも多くのものを組み合わせているため、浅くて表面的な理解では把握さえできない。深遠な思想家は、理性と精神で知る。探究心の低い者は、感情と経験で認識する。ーエドマンド・バーク『新ウィッグから旧ウィッグへの懇願』)

 岸田文雄氏も河野太郎氏も、「慣習」の変更が社会にどれだけの影響を与えるのかについて軽慮浅謀に過ぎる。何かを変えれば、失うものは確実であるが、得られるものは不確実である。だから変革は慎重でなければならない。つまり、急激なる変革を避けた「漸進(ぜんしん)主義」が求められるのである。

 岸田氏も河野氏も社会というものを少し甘く見過ぎてはいないか。【了】