保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

夫婦別姓について(3) ~国会の怠慢~

《夫婦同氏制の下においては、婚姻に伴い、夫婦となろうとする者の一方は必ず氏を改めることになるところ、婚姻によって氏を改める者にとって、そのことによりいわゆるアイデンティティの喪失感を抱いたり、婚姻前の氏を使用する中で形成してきた個人の社会的な信用、評価、名誉感情等を維持することが困難になったりするなどの不利益を受ける場合があることは否定できない。

そして、氏の選択に関し、夫の氏を選択する夫婦が圧倒的多数を占めている現状からすれば、妻となる女性が上記の不利益を受ける場合が多い状況が生じているものと推認できる。さらには、夫婦となろうとする者のいずれかがこれらの不利益を受けることを避けるために、あえて婚姻をしないという選択をする者が存在することもうかがわれる。

 しかし、夫婦同氏制は、婚姻前の氏を通称として使用することまで許さないというものではなく、近時、婚姻前の氏を通称として使用することが社会的に広まっているところ、上記の不利益は、このような氏の通称使用が広まることにより一定程度は緩和され得るものである》(最高裁判所 平成26年(オ)第1023号 平成27年12月16日 大法廷 判決)

 <通称>の使用で不利益は一定緩和されているという指摘も妥当である。

《総合的に考慮すると、本件規定の採用した夫婦同氏制が、夫婦が別の氏を称することを認めないものであるとしても、上記のような状況の下で直ちに個人の尊厳と両性の本質的平等の要請に照らして合理性を欠く制度であるとは認めることはできない。したがって、本件規定は、憲法24条に違反するものではない》(同)

と結論した。

 よって、この問題を蒸し返すのであれば、夫婦別姓側がその必要根拠を改めて立論提示し直す義務があるのであって、自らの説得力の無さを棚に上げ、夫婦別姓反対派を攻撃し、そのことでもって自己正当化しようとするのは「非道」である。

 最後に、この件に関する国会の怠慢について指摘しておきたい。判決文は言う。

《夫婦同氏制の採用については、嫡出子の仕組みなどの婚姻制度や氏の在り方に対する社会の受け止め方に依拠するところが少なくなく、この点の状況に関する判断を含め、この種の制度の在り方は、国会で論ぜられ、判断されるべき事柄にほかならない》(同)

 安全保障問題にせよ、経済問題にせよ、憲法問題にせよ、選択的夫婦別姓よりももっと国会で議論しなければならないことが多々あると思うけれども、司法にもたれ掛かることのないように、政治的判断を要する問題は国会でしっかり議論することが必要であることもまた論を俟たないだろう。

 が、今の国会に「議論」する能力はあるのか。甚だ心許(もと)ない限りである。【了】