保守論客の独り言

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敗戦記念日社説:孤軍奮闘する朝日新聞(2) ~平等はシジフォスの岩~

《ポップスからルソーに至る、さらにはロールズにまで達する「自然状態」という虚構のなかで、能力差のない人間の集まりというものを空想し、そこで「人は生まれながらにして平等である」というふうに自然権を謳(うた)うのはもう止めようではないか。人間の歴史は自然とは別次元にあるのであり、歴史の鉄則は人間が不平等から逃れがたいことを教えている。人種や性やカーストによる不平等を排したのはおそらく人類の知恵といってよいのであろうが、そのぶんだけ、能力差にもとづいて不平等を分配するという作業に負担がかかる。その肝腎の作業を混乱に落とし入れるのが「機会の平等」を含めての平等主義にほかならない》(西部邁『白昼への意志』(中央公論社)、pp. 239-240)

 「平等」はどこまで言っても達成されない謂わば「シジフォスの岩」の如きものだ。

《シジフォスの場合も、タンタロスに似ている。彼も地獄に落されて、永遠の労役を背負わされたのだ。

 彼はデュカリオンの孫にあたり、コリント王をしていたが、人間の中で最も狡智にたけた人物として、死神をさえ欺いたことがあった。彼が地獄に落された理由は、いろいろに伝えられるが、次の話が一番ふつうに行われている。

 ある日彼が何気なく空を仰いでいると、一羽のすばらしく大きな鷲が、人間の娘をさらって、遠く海上に見える島の方へとんで行くのが見えた。かしこいシジフォスには、その鳥はどうやらただの鳥ではなく思われた。

「これはまた大神ゼウスが鷲に姿をかえて、いたずらをしたのかもしれないぞ。」

と、彼は考えた。

 そこヘアソブス川の神がやって来て、自分の娘エギナが突然に行方が知れなくなったことを話して、彼の意見を求めた。シジフオスは自分の見たことを語って、エギナをさらって行ったのはたぶんゼウスではないかと思うといい、鷲のとんでいった島を指さして教えた。

 アソブスは娘を捜してその島へ出かけたが、ゼウスは電光を投げつけて彼を追いはらった。しかも、この秘密の隠れ家を教えたのがシジフォスだと知ると、怒って彼を地獄に投げこんで、永遠の責苦を負わせることにしたのだという。それは重たい岩を山の上までころがし上げることであったが、シジフォスが力をつくしてようやく山の上までその岩を押しあげるが早いか、岩はまたたちまち猛烈な勢いで急坂をころがり落ちて、かくてシジフォスの労役ははてる時がないのであった》(山室静ギリシャ神話』(教養文庫)、pp. 64-65

 つまり、「完全な平等」など現実の世界では、ただの<空想>に過ぎないということだ。【続】