保守論客の独り言

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うんざりする針小棒大の安倍批判(3) ~人民裁判に掛けようとする野蛮~

安倍氏側は、前夜祭にかかった費用の記載方法について、総務省に問い合わせていた。記載の必要があることを認識しながら、なぜ書かなかったのか。

 秘書は、記載しないことが「慣例だった」と供述しているという。政治資金の公開原則をないがしろにする処理が、恒常的に行われていたことになる》(12月25日付読売新聞社説)

 読売社説子は、誰を指弾しようとしてこのようなことを述べているのか。安倍氏を攻撃しようとしているのならお門違いである。

 独りで政治活動のすべてを担うことなど不可能である。ましてやそれが一国の宰相ともなればなおさらである。政治資金を総理自身が綿密に管理しているとすればその方が問題である。

政治資金規正法では、収支報告書への不記載で罪に問われるのは会計責任者や補助した人だ。政治家は、指示や了承といった共謀関係がなければ処罰されない》(12月25日付毎日新聞社説)

安倍氏は、嫌疑不十分で不起訴になった。特捜部の任意の事情聴取に対し、「首相退陣後に事実を把握した」と述べた。秘書も独断で行ったと話しているというが、安倍氏の責任は免れない》(同、読売社説)

 このような考え方が罷(まか)り通れば、自ら政治活動でいかに結果を残そうとも、秘書などが問題を起こせば政治家としての芽が摘まれてしまうなどという余りにも理不尽なことが起こらないとも限らない。

安倍氏は国会で、前夜祭について「後援会としての収入、支出は一切ない」などと何度も答弁していた。菅首相も、官房長官として答弁を追認してきた。

 秘書やホテル側に十分確認をせず、国権の最高機関である国会で事実に反する説明を繰り返したことは、看過できない。虚偽の答弁と批判されても仕方あるまい》(同)

 そもそも政治家に清廉潔白を求めるのは筋違いである。勿論、政治家が清く正しいことに越したことはない。が、あくまでも政治家に求められるのは良き政治であって、聖人君子であるかどうかは二の次、三の次である。

 政治家は国民の代表である。国民自らが清廉を誇れるのなら、政治家にもそれを求めたくなろうというものであるが、果たしてそんな国民がどれほど居るというのだろうか。自分たちにないものを代議士にだけ求めるのは勝手である。

 否、政治家の問題は、それを生む国の風土土壌に問題が有りやしないか、だとすれば国民自身にこそその原因があるのではないか、と考えるのは自然な理路である。「桜を見る会」といった贔屓筋の宴(うたげ)に嬉々として群がる人達がいなくならない限り、同様のことが繰り返されるに違いない。

安倍氏は記者会見で「道義的責任を痛感している。初心に立ち返り、職責を果たす」と述べた。政治の信頼を失墜させた事実を、安倍氏は重く受け止めるべきだ》(同)

 むしろ私は<政治の信頼を失墜させた>のは難癖付けに終始した野党でありマスコミであったと思っている。今回もそうだ。今政治に求められているのが何なのかを考えようともせず、検察が不起訴とした案件を「人民裁判」に掛けようとするその野蛮なやり口に私は怒りすら覚える。【了】