保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

麻生氏の<民度>発言について(2) ~心卑しき文句垂れ~

《日本の新型コロナウイルスによる死者が欧米諸国と比べて少ないことについて、麻生太郎副総理兼財務相が4日の参院財政金融委員会で「民度のレベルが違う」と発言した。「民度」は人民の生活や文化の程度を意味する。

 新型コロナで多数の死者を出した国々は文化の程度が低いと言っているに等しく、不適切極まりない。不幸にして新型コロナに感染し亡くなった人たちに対する侮辱とも受け取れる。発言を撤回し、謝罪すべきだ》(6月6日付琉球新報

 日本は<民度>が高いからコロナの死者が少なかったと「お国自慢」をする政治家をどうして叩こうとするのか。安倍政権批判が上手く行かないことに苛(いら)立っている表れなのではないか。

 自分もコロナに感染してるかもしれない。だからこれを他人に移すようなことがあってはいけないということでマスクを着用する。強制的に都市を閉鎖するといったこともないのに、拡大防止のために自宅待機に努めるなどという国民は世界的にみても稀有(けう)な存在ではないか。

 成程、日本の道徳観からすれば、相手が不快に思うことは言わないのが礼儀であろう。が、それは飽く迄も日本社会内における話であって、日本の道徳観を外交にまで持ち込むのは愚かである。

 

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 小沢氏は、民主党政権時代どれだけ<国益>を損なったのかもうお忘れなのだろうか。麻生氏の発言は<国益>をひょっとすると損ないかねない程度のものだと思われるが、民主党政権は、積もり積もった日本の政治の宿痾(しゅくあ)を洗い流してくれると期待した有権者の期待を大きく裏切り、そのことが安倍一強政治を生み出した元凶だということをもっと自覚しておいてもらわないと困る。

 また、麻生氏は<民度>が低い民族を殲滅(せんめつ)せよと言ったわけではなく、麻生発言を<ナチスの発想>などと言うのは物の分別が付けられない暗愚(あんぐ)でしかない。

《今回の発言を政治アナリストの伊藤惇夫氏は、外相も経験した麻生氏が人々の生活や文化の程度を示す「民度」という言葉を安易に使った点を問題視する。「国会で言ったのが驚きで、閣僚辞任ものだ。海外で国際社会への挑戦と取られ、日本に厳しい目が向けられる可能性もある」》(6月6日付東京新聞社説)

 政治アナリストの発言など誰も本気で聞いてはいないから良いのだろうが、「言葉狩り」しか出来ないような政治アナリストも不要である。

 そんなことよりも、麻生氏がマクロ経済が分からず財布の紐を緩めないために必要十分なコロナ対策が打てていないことの方が遥かに問題なのに、そのことには言及しないのでは、「鹿を追う者は山を見ず」でしかないだろう。【続】