保守論客の独り言

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再び敵基地攻撃能力について(2) ~専守防衛の檻に閉じ込められた日本~

《「敵基地攻撃能力の保有」を事実上求める自民党の提言は、「専守防衛」の憲法9条を逸脱するのでは、との疑問が拭えない。地域の軍拡競争が加速すれば、真の抑止力にもならないのではないか》(8月5日付東京新聞社説)

 この際、憲法9条についてじっくり議論したらどうか。9条は絶対と考え議論を拒否するのでもなく、現行の9条に自衛隊保持を明記するような矛盾した憲法改正でもなく、戦争を放棄さえすれば「平和」でいられるなどという「おとぎ話」をもうそろそろ卒業すべきである。

《歴代内閣は、ミサイル発射基地への攻撃は「座して自滅を待つべしというのが憲法の趣旨とは考えられない」と、憲法9条が認める自衛の範囲内としてきた。

 同時に政府見解は「平生から他国を攻撃する、攻撃的な脅威を与えるような兵器を持つことは憲法の趣旨ではない」ともしており、敵基地攻撃が可能な装備を持つことを認めてきたわけではない。

 それが一転、攻撃能力を保有することになれば、専守防衛を逸脱しかねない。抑止力向上のための取り組みが周辺国の軍拡競争を促し、逆に緊張を高める「安全保障のジレンマ」に陥る恐れもある》(同)

 防衛力を高めなければ侵略を防げない。が、防衛力を高めれば周辺国との緊張が高まって軍拡競争となりむしろ危険が高まる。つまり、防衛力を高めようが高めまいが安全ではない、という「ジレンマ」なのであるが、この論法が間違っていることは明らかである。

 日本が高めようとしているのは「防衛力」である。日本が防衛力を高めることで周辺国との緊張が高まるというのは理屈に合わない。競争しているのは日本の「防衛力」と周辺国の「侵略力」である。言うまでもなく、問題があるのは「侵略力」を高めようとしている周辺国の方である。

 また、日本が防衛力を高めなければ周辺国は軍拡を行わないなどということもない。否、むしろ北東アジアにおける「力の均衡」が崩れることで領土拡張意識が高まり、さらなる軍拡を招きかねない。侵略に見合った防衛力、すなわち「力の均衡」こそが安全保障においては大切なのである。

《中朝両国は(敵基地攻撃能力)保有に反発しているが、日本を弱い立場のままにしておきたい思惑がある。日本における保有反対論は、国民の安全よりも侵略者の安全を優先する愚論そのものといえる》(8月3日付産經新聞主張)

 日本を「専守防衛」の檻に閉じ込めておけば自分たちが好き勝手出来るからそのように言っているだけである。例えば、北朝鮮のように百人以上の日本人を拉致監禁していても取り返しにも来ないのであるからこれほど都合のよいことはないのである。【続】