保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

日本国憲法第9条2項は主権放棄条項だ(1) ~9条2項を削除するのは主権国家として当然だ~

第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 長谷川三千子埼玉大学名誉教授は言う。

《9条2項をそのままにして自衛隊の保持を明記するのは矛盾ではないか、という批判も最初からありました。しかし、それだけの問題ではない。9条2項は、もしそれを文言通りに遵守(じゅんしゅ)したら、わが国の主権を完全に手放してしまうことになるという、怖(おそ)ろしい条文を含んでいます。国家の主権のないところに近代成文憲法は存立することができません。9条2項は日本国憲法にとっての自殺条項ともなりうるものなのです》(「いまこそ憲法9条2項の削除を」:87日付産經新聞「正論」)

 92項が意味するのは、自衛のために戦うことを放棄しているということである。戦力を持たず、戦う権利を放棄するということは、侵略のみならず自衛のために戦うことをも放棄することに他ならない。

《主権とはもともと「最高の力」を意味するラテン語を翻訳した言葉で、国内的には(たとえば「国民主権」といった言い方で)政治の決定権のありどころを意味し、対外的にはその国の独立と領土保全の権限を意味します。

 これらの二つは、まるで別物のようにして扱われることが多いのですが、言葉の成り立ちとしても、事柄そのものとしても、同じ一つながりのものに他なりません。すなわち、国家の主権が奪われ、独立が失われた状態にあっては、その国の政治決定権は国内の誰の手中にもなく、「国民主権」も「君主主権」も成り立ちません。そして、そんな状態においては自国憲法も全く無意味になってしまう。だからこそ(日本国憲法前文にも言う通り)どの国も「自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たう」とするわけなのです》(同)

 確かに、国家が独立し主権を確立保持していなければ、国民に主権があるかどうかなど関係はない。そのことは敗戦後のGHQ占領期を思い起こせばよく分かるだろう。日本はGHQの言われるままにするより他なかった。たとえ日本国憲法主権在民が謳(うた)われていても、マッカーサーの方針にひれ伏すしかなかった。

 否、今でも米軍基地の置かれた日本は完全な独立国とは言い難い。不完全な独立国であるかぎり、国民主権も不完全なものとならざるを得ない。【続】