保守論客の独り言

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立憲山尾衆院議員の「立憲的憲法改正」について(2) ~天網恢恢、疎にして漏れっ放しの憲法?~

憲法九条があるにもかかわらず、専守防衛を逸脱し集団的自衛権の一部を認める安保法制は成立してしまいました。

 そうです。憲法九条は安保法制を止めることができなかった。憲法の本質的役割は権力統制にあるにもかかわらず、最も権力が先鋭化する「自衛権」という実力を現状の憲法九条で統制することができなかった。

 ならば、憲法の統制力を強化する憲法改正を本気で検討すべきではないか。これが「立憲的改憲」の問題意識のスタートラインです》(山尾志桜里『立憲的改憲』(ちくま新書)、p. 18)

 ここで山尾議員の言う<憲法の統制力を強化する憲法改正>とは、

憲法違反をさせないために、大切な不文律は明文化しよう》(同、p. 23)

 ということのようである。が、政権が悪事を働けぬよう憲法で雁字搦(がんじがら)めにしようとするのは、私は間違いだと思う。

 敢えてするに勇なれば、則ち殺され、敢えてせざるに勇なれば、則ち活かさる。此の両者、或いは利あり、或いは害あり。天の悪む所、執か其の故を知らん。(是を以て聖人すら猶おこれを難しとす。)

天の道は、争わずして善く勝ち、言わずして善く応じ、召かずして自ら来たし、繟(坦)然(せんぜん)として善く謀(はか)る。天網恢恢(てんもうかいかい)、疎(そ)にして失せず。(老子:73)

(裁判官が、思いきった決断に勇敢であると、罪人は殺される。思いきらないで保留にすることに勇敢であると、罪人は生きのびる。この二つの勇断は、裁判官にとって、それぞれ利益があったり害があったりということで決められる。しかし、天の裁断でにくまれることになると、その理由はだれにもわからない。もちろん利害打算とは無関係だ。(―それゆえ、聖人でさえもそれを知るのはむずかしいとしている。)

 天の道、つまり自然のはこびかたは、争わないでいてうまく勝ち、ものを言わないでいてうまく答え、よびよせることをしないでいておのずからに来させ、ゆったりとかまえていてうまく計画をたてる。つまりは「無為(むい)」でいてすべてのことをりっぱになしとげる、ということだ。天の法網(ほうもう)はたいへん広大で、網の目はあらいが何ものをも逃さない)(金谷治老子』(講談社学術文庫)、pp. 219-220)

 山尾議員の話は、「天網恢恢、疎にして漏らさず」とは正反対である。現行憲法は網の目が粗すぎて漏れっ放しなので、もっと網の目を密にしようということである。

 が、いくら憲法の条文を密にしても「網」であることに変わりはない。たとえ小さくなっても「抜け穴」はある。

 これを防ごうとすればするほど、憲法は複雑になり、国民は言うまでもなく学者さえも理解し運用するのに苦労するなどというようなことにもなりかねない。さらに言えば、知らぬ間に条文全体の整合性を欠くようなところも出てくるであろうし、思わぬところで「矛盾」すら生じかねない。【続】