保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

立憲山尾衆院議員の「立憲的憲法改正」について(3) ~日本は不文憲法を採用すべきだ~

老子に「天網恢々、疎にして漏らさず」(漏が失になっている書物もある)という名言がある。天の打つ網はめがあらいようでも、ちゃんと逃さないものだという意味であるが、この頃つくづくこの語の妙味に感嘆する。天の作せるわざわいは逃れることはできても、人のしでかしたわざわいは逃れることはできない〔書経〕。自業自得である。「自由」の名の下に「放縦(ほうじゅう)」に走った人々は見る見る窮して破滅に陥っている。「民主」を仮って大衆を利用した人々はたちまち混乱と堕落に困っている。

(中略)

 少し長い目で観るとき、少し深く事実を洞察するとき、因果応報の哩は厳としていささかも違うことはない。我々同学は眼前の浮雲のような現象や、紛々たる曲学阿世(きょくがくあせい)の論に少しも惑う必要はない。平常心是れ道である》(安岡正篤知命立命』(プレジデント社)、pp. 267-269)

 天網が信じられず短慮に陥るから

《不文律かつ核心的解釈を自律的に尊重できない政治権力を統制するためには、不文律を明文に落とし込む必要があるのではないでしょうか》(山尾志桜里『立憲的改憲』(ちくま新書)、p. 24)

などという話になるのである。

 ここで問題は、現行憲法は<天網>に値するようなものなのかということである。残念ながら現行憲法は、日本の悠久の歴史を否定し、日本を弱体化させるためにGHQによって制定されたものであり、とても<天網>と呼べるような代物(しろもの)ではない。ハイエクの言う「自生的秩序」と呼べるようなものではないということである。

Its(= a spontaneous order or kosmos)degree of complexity is not limited to what a human mind can master. Its existence need not manifest itself to our senses but may be based on purely abstract relations which we can only mentally reconstruct. And not having been made it cannot legitimately be said to have a particular purpose, although our awareness of its existence may be extremely important for our successful pursuit of a great variety of different purposes.

  Spontaneous orders are not necessarily complex, but unlike deliberate human arrangements, they may achieve any degree of complexity. One of our main contentions will be that very complex orders, comprising more particular facts than any brain could ascertain or manipulate, can be brought about only through forces inducing the formation of spontaneous orders. ― F.S.Hayek, Law, Legislation and Liberty:Volume 1:2 The distinguishing properties of spontaneous orders

(自生的秩序すなわちコスモスの複雑さの度合いは人間の知性が習得しうるものには限定されない。それが存在することは、五感に感じられる必要はないが、知的にしか再構築しえないまったく抽象的な関係に基づいているのかもしれない。作られておらず、当然特定の意図があると言えるはずもない。それが存在することに気付くことは多種多様な目的を首尾よく追求するために極めて重要であるだろうけれども。

 自生的秩序は必ずしも複雑とは限らないが、熟慮の上の人間的取り決めと違って、どのような複雑さの度合いにでも到達できる。我々の主な論点の1つは、いかなる頭脳も確かめ操作し得えないほど多くの特定事実から成る非常に複雑な秩序が、自生的秩序の形成を惹起(じゃっき)する力によってしかもたらされないということである)

<天網>と呼べるのは「自生的秩序」であり、日本のような歴史の積み重ねの上にある国はこの「自生的秩序」を生かすべく「不文憲法」で行くべきだ、というのが私の年来の主張なのである。【続】