保守論客の独り言

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秋篠宮殿下の大嘗祭発言について(3) ~政教分離と憲法~

秋篠宮さまが…新天皇の即位に伴い、来年秋に予定されている大嘗祭(だいじょうさい)について「宗教色が強いものを国費でまかなうことが適当かどうか。すっきりしない感じをもっている」と述べた》(12月1日付朝日新聞社説)

 <述べた>と敬語を使わず書かれてあるのが気になるが、朝日新聞はそういう新聞なのだということで一旦措いておこう。

政教分離を定めた憲法大嘗祭との関係は、平成への代替わりの際も論議になった。「知事らが公費を使って大嘗祭に参列したのは儀礼の範囲内で違憲ではない」とする最高裁判決はあるが、国が大嘗祭に関与することや費用支出の合憲性についての判断は示されていない。

 朝日新聞の社説はかねて、前回のやり方にただ従うのではなく、憲法の諸原則やこの間の社会通念の変化を踏まえてゼロから検討し、改めるべき点は改めるべきだと主張してきた》(同)

 <前回のやり方にただ従うのではなく>というのであれば、皇室の存在すら問題だということになりかねない。伝統こそが皇室の存在基盤なのであるから、朝日新聞天皇制存続の是非をも視野に入れて議論したいのであろうと思われる。

 話を「政教分離」に戻そう。

憲法政教分離原則に触れるという懸念は当たらない。平成の大嘗祭に対して複数の訴訟があったが、政教分離に反しないとの最高裁判決が確定している。

 政教分離は、政治権力と宗教の分離が目的である。天皇や皇族は権力を持たないし、宗教団体を擁さない。大嘗祭をはじめとする宮中祭祀を一般の宗教と同列視して、私的行為と見なす必要はない》(12月1日付産經新聞主張)

 現実論としてはこのように言うしかないのであろうが、私は不満である。伝統的祭祀を日本国憲法という「ぽっと出」の事後法によって裁断すべきではない。伝統的なものは神聖不可侵だと言いたいのではない。変えるべきはしっかり議論をして変えればよい。

 否、そもそも日本国憲法が「國體」(こくたい)を表しているのであればこのような問題は起こらない。現行憲法が國體に背くものであるから変な話になってしまうのである。

 要は話は逆なのであって、国の体を表すべき憲法の方こそ伝統に沿う形に変更すべきなのである。日本を弱体化するためにGHQが日本人に押し付けた、没伝統的憲法をどうしていまだに戴き続けているのだろうか。

天皇陛下が一昨年、退位のお気持ちを表明されて以降、皇室のあり方が国民的議論になっている。

 平成が終わろうとする今、秋篠宮さまの発言が、新しい時代の皇室像を議論する契機になるのか。主権者の国民の意識も問われる》(同)

 日本国憲法という日本の伝統を否定する思考の枠組みの内側で<新しい時代の皇室像>を議論することは危険である。伝統を尊重し、死者に対する畏敬の念を失わぬ議論なら歓迎するが、理性への過信、生者の傲慢の中で議論が進められるとすれば、ろくな結論になりやしない、私はそう危惧するのである。【了】