保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

皇室問題について(3) ~日本国憲法に埋め込まれた「時限爆弾」~

憲法の規定では、天皇の地位は国民の総意に基づく。専門家ばかりでなく、世論にも耳を澄ませ、開かれた議論をすべきである》(11月6日付東京新聞社説)

 これは、GHQに潜り込んだソ連のスパイであるトーマス・ビッソンが日本国憲法に埋め込んだ「時限爆弾」である。

《日本国民の心のなかにある天皇神話全体の信憑性を失わせ、その復活の可能性を永久に取り除くことが不可欠である。もしも日本国民が天皇にそむき、天皇を退位させるならば、その行為は賞賛され、支持されなければならない。もしも彼らがそうしないのならば、彼らが必ず黙従すると考えられる根拠があり次第、彼らに代わってただちにその措置をとらなければならない。

 そのような方針は連合国がとりうるものではない。なぜならば、それはきわめて微妙な問題であり、天皇崇拝は、日本国民の意識の中にあまりにも深く根をおろしているからだ、という主張もあろう。

 こういった反対論に対する答として言えば、だれひとり、1日とか1ヵ月かのうちに、あるいは米国軍政府の命令によって成果を挙げることは期待していない。深部からの革命による以外には、一夜にして成果をもたらすことはできないであろう。

 しかし、天皇軍国主義者から切り離し、日本国民の間に合理的思想が自由に育つことを可能ならしめるような条件づくりを〔日本の〕敗北後ただちに行なうことが肝要である》(T・A・ビッソン「日本にとっての平和の代価」:『パシフィック・アフェアーズ』171号、1944年3月:『資料 日本占領1 天皇制』(大月書店)、p. 245)

 救いは<国民>とは何かが憲法において定義されていないということである。普通、国民と言えば、今を生きる人のことを指すのであろうが、今を生きる人だけでなく、過去を生きた人も含め<国民>と総称することも可能である。

 「生者」のみならず「死者」も含めて国民と呼び称するならば、「死者」を尊重するという意味で「伝統」を尊重せよと解釈できる。このことを踏まえ、「生者」の横暴とならぬようにすればよい。

河野太郎行政改革担当相は8月、「現皇室で男系を維持していくには、かなりのリスクがあると言わざるを得ない」と述べ、議論を急ぐべきだとの認識を示した。

 二階俊博幹事長も昨年、「男女平等、民主主義の社会を念頭に考えていけば、おのずから結論は出ると思う」と語った》(10月9日付毎日新聞社説)

 私は、これらの発言に皇室を軽んずるところがあるのを感じる。特に、二階自民党幹事長には伝統というものが分かっていない節がある。

《将来にわたり、敬意が保たれる皇室像を考えなければならない。小泉内閣時代から幾つかの具体案が検討され、すでに論点は整理されている。国民の理解が得られる方向性を示してもらいたい》(11月8日付読売新聞社説)

 読売社説子が目指す<女系天皇>、<女性宮家>についての論点は整理されているのかもしれない。が、皇室の伝統を尊重する旨の議論が十分だとはとても思われない。いかにも真っ当な議論を展開しているかのようで、その実、日本の伝統文化を軽んじる読売社説のような独善的議論には注意が必要かと思われる。【了】