保守論客の独り言

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サナエノミクスについて(1) ~並び立たない「3学説」~

自民党総裁選に立候補した高市早苗総務相は自身が掲げる経済政策を次のように述べる。

《私の経済政策は、『ニュー・アベノミクス』と呼んでも良いものだと思います。

アベノミクス』は、第1の矢が「大胆な金融緩和」、第2の矢が「機動的な財政出動」、第3の矢が「民間活力を引き出す成長戦略」でした。『サナエノミクス』は、第1の矢が「大胆な金融緩和」、第2の矢が「緊急時に限定した機動的な財政出動」、第3の矢が「大胆な危機管理投資・成長投資」です》(高市早苗「【わが政権構想】日本経済強靭化計画」:月刊Hanadaプラス20210903日 公開)

 高市女史は「アベノミクス」を評価しているのであろう。だから「アベノミクス」を自分なりに再構成した経済政策を「サナエノミクス」と称しているのだと思われる。

 が、私は当初から「アベノミクス」に疑問符を付けていた。だから「サナエノミクス」にも同様の疑問を持つ。

 アベノミクスは、「3本の矢」(金融緩和、財政出動、成長戦略)で構成されるものだったが、これらはそれぞれ、経済学の泰斗フリードマンケインズシュンペーターの学説をそれぞれ参照したものだと思われる。だから私は、アベノミクスは「アベノミックス」だと呼んでいたのである。

 が、そもそもフリードマンは反ケインズ主義者なのであるから並び立つわけがない。

《1950年代から60年代にかけて、ケインジアンマネタリストの論争が続いた。当時、アメリカ経済は黄金時代を迎え、それを主導したケインジアンが圧倒的に優勢であった。それに敢然と立ち向ったのがフリードマンである。彼の自らの理論を正当化する論調は過激で、決して論敵に屈服することはなかった。

 フリードマンケインジアンを攻撃するために持ち出した道具はアーヴィング・フィッシャーの貨幣数量説である。これを改良して、現実の経済の下で検証し、その正しさを主張した。そして、同僚のアンナ・シュワルツととも1930年代の大恐慌を分析した『米国貨幣史』を出版する(63年)。

 フリードマンによると、大恐慌の原因はただ一つ。アメリカの連邦準備理事会(FRB)の金融政策の失敗にあるという。不況下で貨幣の供給を増やすべきところを逆に、引き締めた結果である、と力説した。ケインズ派の不況対策が公共事業を中心にして需要の拡大にあるのに対し、マネタリズムは貨幣の供給を一定のルールでふやすことを主張する。いわゆる「Ⅹ%ルール」である。政策当局に信頼を置くケインズ主義と、不信を持つマネタリズムの決定的な違いである》(葛西泰「Mフリードマンマネタリズムの総帥」:『現代経済学の巨人たち』(日本経済新聞社)、p. 61

 あるべき政府として「小さな政府」を主張するフリードマンは、不況時には経済活動への政府介入が必要と考えるケインズを批判した。水と油は混じり合うことはないのである。【続】