保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

大阪「表現の不自由展」について(2) ~本質は昭和天皇や特攻隊員に対する侮辱~

慰安婦」とは当時合法だった「公娼」に過ぎない。貧しいがゆえに、金になる「売春」の道に進まざるを得なかった。その象徴が「少女像」なのである。

「少女像」は、借金の形に親が娘を売ったことや朝鮮人の女衒(ぜげん)が甘言を弄して朝鮮人の婦女子を売春に引きずり込んだといった悲しい歴史を想起させる。朝鮮人は、日本人を非難しようとこの像を世界中に設置しているようだが、実際は、自分の親たちの恥辱の歴史を広く世界に知らしめてしまっているだけである。

 だから、「少女像」が問題なのではない。問題の作品は2つ。1つは昭和天皇御真影がバーナーで焼かれ、燃えカスを靴で踏み付ける動画、もう1つが、神風特別攻撃隊員の寄せ書きを祠(ほこら)に被せ、「間抜けな日本人の墓」と称して英霊を侮辱している作品である。

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(注)画像は大阪会場のものではなくあくまで参考資料。

 こういったものを嬉々として展示しようとする神経が分からない。他人が嫌がるのを見て喜ぶ。もはや「異常者」と言うしかない。

 否、彼らは彼らなりに「正常」なのかもしれない。だとすれば文化的価値観が異なる「異邦人」ということだ。が、日本人の倫理観や道徳観を踏みにじる「異邦人」の好き勝手を許すべきではない。でないと、日本が日本でなくなってしまう。

 「異邦人」は日本の平和と安寧を貪(むさぼ)りつつ、好き勝手なことを言い行動する。が、このようなことが罷り通れば、日本の安全は脅かされ、安心は失われてしまうだろう。が、「異邦人」にとって日本の未来など知ったことではないだろう。彼らには過去から引き継いだものを未来に引き渡す義務感もなければ責任意識もないだろう。

表現の自由とは何か。それが侵されたとき、社会はどうなるか》(7月10日付朝日新聞社説)

 いかにももっともらしい問い掛けだが、本当に問われなければならないのは、<表現の自由>はどこまで認められるのかということだ。

 昭和天皇や特攻隊員を侮辱できるのは、誤った歴史認識が根底にあるからだろう。おそらく大東亜太平洋戦争が日本の侵略戦争であり日本の黒歴史だと信じ込んでいるに違いない。これは戦後教育の問題が大きいと思われるが、これだけ様々な著作や資料が公開されているにもかかわらず、未だに戦勝国が押し付けた自虐史観東京裁判史観」に呪縛され続けているのは、怠慢でなければ、事なかれ主義の臆病者と言わざるを得ない。

《展示作品を批判する自由はもちろんある。しかし表現には表現、言論には言論で対抗するのが鉄則ではないか。

 こうした卑劣な行いがまかり通れば、多様な意見や多様な芸術に触れ、自由に議論を交わすことによって成り立つ民主主義は、土台から崩壊してしまう》(同)

 論点が完全にずれている。暴力や恐怖によって<言論の自由>を侵害することを誰も良しとはしていない。問題なのは、昭和天皇や特攻隊員を侮辱し、社会秩序を掻き乱すことが許されるのかということである。【続】