保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

芸能人の政治的発言について(2) ~反論を許さない独り善がり~

《テレビや新聞、雑誌、インターネット上などで名前や顔が知られ、数多くのファンを抱える芸能人は確かに、社会の秩序や反響の大きさを意識して発言すべきだろう。だが、誰しも自分の意見や考えを公表、発信する行為をためらう必要はない。

 憲法は21条で、言論を含む「表現の自由」を保障している。それは(1)自分の意思や精神を表現したり、他から吸収したりすることで自らの考えを深め、成長していく「自己実現の価値」(2)自身の意見を述べることによって政治的な意思決定に関わることができる「自己統治の価値」-があるからだ》(5月24日付河北新報社説)

 勿論、有名芸能人がSNSで政治的発言を行うことは法律上「自由」だ。実際、批判者たちも「憲法違反」だと言ったわけではないだろう。事実であろうがなかろうが難癖を付けて安倍政権を潰そうとする人たちに、誰かの受け売りで、安易に味方するかのような発言をするから批判を浴びてしまっただけである。

 発信するのも自由だし、それを批判するのも自由、それが「表現の自由」というものである。勿論、脅迫を含むような内容であれば別の法律に引っ掛かるだろうが、

「歌手は歌だけ歌ってろ」「お前ら政治よく分かってねえくせに…」(同)

というような揶揄(やゆ)の類(たぐい)は、道徳論としては一考の余地があるにしても、法律論としては問題となるようなものではないだろう。

《SNS上で飛び交った批判の中には、脅迫的な言葉や過激な表現が含まれる投稿や動画があった。もはや自由な言論活動ではなく、個人に対する名誉毀損(きそん)や侮辱、誹謗(ひぼう)中傷の類いだ。「芸能人は政治を語る必要がない」と言わんばかりの書き込みは、偏見や差別でしかない。他者の表現の自由と人格権を二重で侵していることになる》(同)

 たとえ投稿や動画に<過激な表現>が含まれていたとしても、それが他者の<表現の自由>を侵害するものだと言えるだろうか。無論、脅迫的な内容はれっきとした犯罪であろうし、名誉棄損や誹謗中傷は人格権を侵害している虞(おそれ)はあるだろう。が、<他者の表現の自由と人格権を二重で侵している>というのは、ちょっと言い過ぎのような気がする。

《選挙での投票行動と同様、何らかの形で国民が意思表示をすることは重要な政治参加と言える。

 そして、政治上の自由な発言を抑え込む風潮は、誰かが国を動かしてくれるだろうという「お任せ民主主義」の助長にもつながる》(同)

 成程、<政治上の自由な発言>を抑え込むのは良くないにしても、「発言の自由」と「反論の自由」とは表裏一体であることを発信者はよく理解しておくべきではないか。反論を許さないかのような狭量な反発はむしろ「独善」でしかない。【続】