保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

「表現の不自由展」について(1) ~日本文化に対する異文化人の攻撃~

《6月10日、今月25日から東京都新宿区で開催予定だった「表現の不自由展」の実行委員会が緊急記者会見を行い、会場での妨害行為が頻発しているなどの理由で、開催場所の変更を行わざるをえなくなっていると発表した。

「表現の不自由展」は、元々は2019年の「あいちトリエンナーレ2019」の中で行われた企画だった。過去に様々な理由で展示を問題視された作品、またはそれにちなんだ作品を集めて展示するという内容だ。

この企画は、多くの右派市民の反発を招いた。特に彼らの感情を逆撫でしたのは、2つの作品だった。日本政府が世界各国でその設置を妨害し続けている、日本軍「慰安婦」を含む全ての戦時性暴力被害者を象徴する「平和の像」。また、昭和天皇の図像を使った作品が、いわゆる「菊タブー」によって、美術館の展示を問題視されたことを風刺した映像作品「遠近を抱えて PartⅡ」。しかしその文脈は正しく読み解かれず、単に天皇の写真をガスバーナーで燃やしているという表層だけ見られて攻撃されたのだった》(藤崎剛人「どんどん不自由になる日本の表現の自由」:『ニューズウィーク日本版』2021年06月14日(月)15時26分)

 <右派市民>などという耳慣れない言葉を使っていることからも、藤崎氏が特殊な領域内でこの問題を考えていることが分かる。

 各種世論調査からも分かるように、大半の日本国民が天皇を敬愛している。その天皇の肖像が焼かれ、燃え残りが足で踏み付けられて感情が逆撫でされないわけがない。

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 「平和の像」ばかりが報道で取り上げられていたから、多くの国民は天皇の肖像が焼かれている「作品」があることを知らなかったと思われる。もしこのことをワイドショーが連日取り上げ、多くの国民が知ったとしたら、どうなっていたであろうか。

 さらに問題だったのは、「間抜けな日本人の墓」と称する特攻隊の寄せ書きを被せた祠(ほこら)の「作品」である。我々は先人の苦難の上に存在している。その先人を虚仮(こけ)にして嘲笑うかのようなものを受け入れられるわけがない。

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 日本には、人の肖像を燃やし足で踏み付けるような文化はない。それが天皇の肖像であれば尚更であるというか、思いも付かない。また、戦争に散華(さんげ)した英霊に感謝こそすれ、間抜けと称して嘲笑う文化もあろうはずがない。

 要は、「あいちトリエンナーレ」の作品群は異文化のものなのである。異文化の人間が「表現の自由」を盾に、日本文化に攻撃を仕掛けようとしている。それが「表現の不自由展」の正体なのだと思われる。【続】