保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

「表現の不自由展」再開について(2) ~<自分で見て、確かめ、考える>以前の話~

《企画展と展示作品に、さまざまな賛否があるのは当然だ。だからといって「こんなものは芸術ではない」と決めつけ、威力で封じ込めることは決して許されない》(1012日付東京新聞社説)

 言っていることはその通りである。では聞きたい。果たして「昭和天皇御真影を燃やし、灰を踏み付ける映像」は<芸術>なのか。「『間抜けな日本人の墓』と題する特攻隊の寄せ書きを被せた祠(ほこら)」を<芸術>と認められるのか。

 マスコミが報じないから、「昭和天皇御真影を燃やし、灰を踏み付ける映像」や「『間抜けな日本人の墓』と題する特攻隊の寄せ書きを被せた祠」が展示されていることを知らない人が大多数であろうと思われる。もし知っていれば、このような公序良俗に反する「作品」を展示することに誰が賛成しようか。おそらくマスコミもそう思うからこのことをひた隠しに隠そうとしているのであろうと思われる。

《他者の思想や表現を「反日」という言葉で排斥する風潮の広がりには危うさを感じる》(同)

 確かにそうだ。だが、「昭和天皇御真影を燃やし、灰を踏み付ける映像」や「『間抜けな日本人の墓』と題する特攻隊の寄せ書きを被せた祠」は「反日」以外の何物でもない。

 百歩譲ってこのような「反日」のものでも、国からの補助金を当てにせず、例えば東京新聞社屋といった私的空間で展示するのなら構わない。問題なのは、文化庁補助金を目当てにし、愛知芸術文化センターのような公共の場で展示したところである。公共には公共の決まりがある。憲法にも言うように「公共の福祉」に反してはならないということである。

《「国の補助金で国を批判する作品を展示するな」という声もあるが、賛同できない。私たちの社会を取り巻く問題を真摯(しんし)に追究する表現者による批判は、「日本すごい!」といった賛辞よりこの国の未来にとって有益となり得るからだ》(同)

 一口に<国を批判する>と言っても様々である。現在の政権運営を批判する程度であれば何ら問題ないが、日本の象徴たる天皇を虚仮(こけ)にするようなものに公が補助金を出すなどということは有り得ない。

 今回の「作品」のような低劣極まりない天皇批判は、これまで積み重ねてきた天皇制批判をも毀損(きそん)しかねない。

《特筆したいのが、再開された不自由展の会場に駆けつけた大学生の言葉だ。「ネット上で写真だけ見ていては分からない。実物を見て考えたい」と、東京から深夜バスで来たという。

 扇情的な言葉や感情には流されず、自分で見て、確かめ、考える。今回のトリエンナーレにかぎらず広くアートや創作、言論や表現について論じる上で、この学生の姿勢を記憶に留(とど)めておきたい》(同)

 確かに<自分で見て、確かめ、考える>ことは大切である。が、今回のような低俗な「作品」群は見るまでのこともない。「昭和天皇御真影を燃やし、灰を踏み付ける」作品など論外なのである。【続】