保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

「昭和天皇の御真影を燃やし、灰を踏み付ける」動画をヘイトと言うのは「あきれる話」なのか(1) ~反日朝日社説の真骨頂~

閉幕したあいちトリエンナーレについて朝日社説子は言う。

《一連の出来事は、表現活動をめぐる環境が極めて危うい状態にある現実を浮き彫りにした。引き続き問題の所在を探り、是正に取り組む必要がある》(10月16日付朝日新聞社説)

 これはその通りである。が、それは<不当な圧力>云々(うんぬん)ではない。「表現の自由」を後ろ盾にして「公共の福祉」に反するものを「芸術」と称して公開し、社会秩序を掻き乱そうとすることこそが大問題なのである。

《騒ぎの発端は、作品を見ることも、制作意図に触れることもないまま、断片情報に基づく批判が開幕直後に寄せられたことだった。河村たかし名古屋市長ら一部の政治家が、同じく表面的な事象だけをとらえて攻撃を加え、火に油を注いだ》(同)

 作品を見なくても、昭和天皇御真影を燃やすことが公共の福祉に反することであるのは明らかである。むしろ作品を見た人たちがこれを「芸術」と認め問題なしと考えることの方が異様であり病的である。

 おそらく天皇嫌いの人たちなのであろう。が、天皇でなくとも肖像写真を燃し、これを「芸術」と呼ぶことに違和感を覚えない日本人がどれくらいいるというのか。

 ちなみに私も昭和天皇御真影を燃やす映像をツイッターで見たが、今やSNSは新聞が報じない情報の拡散に大いに役立っている。

《とどめは文化芸術を守るべき文化庁だ。9月下旬になって、内定していた補助金の不交付を決めるという暴挙に出た》(同)

 <とどめ>だの<暴挙>だのとても冷静な言葉遣いとは思われない。まさに扇動家の物言いである。

《表現そのものに圧力をかけようという意図は明白だ。補助金の審査に関わる外部専門家の意見も聞かず、再検討の経緯を記録した文書もない。行政が本来の道を踏み外し、暴力で芸術を圧殺しようとした勢力に加担した。そう言わざるを得ない》(同)

 昭和天皇御真影を燃やし、灰を踏み付ける映像は、とても<芸術>とは言えない。これは<暴力で芸術を圧殺しようとした>のではなく、<芸術>を偽装して公共の福祉を掻き乱そうとするのを止めたという方が正しい。

《全てがあいまいなまま、補助打ち切りという事実だけが残ればどうなるか。「議論を呼んだり、政府ににらまれたりする恐れのある活動は控えよう」という萎縮が広がるのは必至だ》(同)

 これは言い掛かりだ。今回の作品群が私的に展示されるのであれば何の問題もない。問題なのは、公共の施設を用い、文化庁補助金をもらってこのような反社会的作品群を展示しようとしたことにある。【続】