《不自由展は、元慰安婦の象徴とされる少女像や、昭和天皇の肖像を用いた版画を燃やす作品などを展示。激しい抗議が寄せられた。「ガソリンの携行缶を持ってお邪魔する」という脅迫文さえ届き、わずか3日で中止となった。
実行委を構成する名古屋市の河村たかし市長は「日本国民の心を傷つけた」と述べた。だが自由な民主国家である日本の名誉を傷つけ、社会と国民を圧迫するのは、むしろこうした行為ではないか。政治家や官僚は意に沿わない芸術家や作品に目を光らせるより、暴力や圧力でものごとを動かそうとする風潮こそ戒めるべきだ》(9月28日付東京新聞社説)
脅迫文が問題であることは論を俟たない。が、不自由展の作品群が日本国民の心を傷つけるものであるのもまた事実である。
成程、政治家が自分の意に沿わない芸術家や作品に目を光らせるのは好ましいことではないのかもしれない。が、件(くだん)の作品群は政治家個人ではなく日本国民の心を傷付けるもの、つまり「公共の福祉」に反するものであり、これを容認するわけにはいかないと展示の責任を担う政治家が待ったを掛けるのは当然のことである。
《少女像などに不快な感情を持つ人がいるのは無理もない。だが仮に像を撤去したとしても、慰安婦を巡るこの国の負の歴史まで消せるわけではない。社会の問題を誠実に問い続ける芸術家の創造活動は、私たちに都合の悪いものや直視したくないものを作品に昇華させて提出する。
私たちが芸術展で見てとるべきは、そこにある》(同)
<慰安婦を巡るこの国の負の歴史>は捏造である。どうしてこの元となった根拠なき「河野談話」が撤回されないのか不思議である。それどころか、安倍政権はそれまで曖昧にされてきた強制連行への軍の関与を日韓慰安婦合意で認めてしまった。
否、少女像など大した問題ではない。やはり問題なのは、日本の象徴たる天皇の御真影を燃やし、灰を踏み付ける作品と、特攻隊員の寄せ書きを纏った「間抜けな日本人の墓」と称する作品である。これらは日本国と日本国民の名誉を大いに毀損するものであり、このような公序良俗に反する作品を「アート」と称して展示することが問題であることもまた論を俟たない。
百歩譲って、私的にこのような展示を行うのであれば、見に行かなければよいだけであるから問題はない。が、公共団体が公金を用いて「公共の福祉」に反する展示を行うということは認められるものではない。
天皇や特攻隊の名誉を公に傷付けて快哉(かいさい)を叫ぼうと目論(もくろ)むのは、やはり「病的」だと言わざるを得ない。【了】