《日韓両政府が慰安婦問題の「最終的かつ不可逆的な解決」を確認した2015年12月の合意から、28日で5年が経過した。形骸化しているのは残念だ》(12月29日付読売新聞社説)
幾つかの新聞社説がこの問題を取り上げているが、私にはこの問題を5年という節目で考え直そうとすることに違和感がある。が、そんなことよりも、この問題を読売社説子が<形骸化>と称していることの方が問題である。
この問題は日韓の取り決めを韓国側が一方的に反故(ほご)にしたのであって断じて<形骸化>したわけではない。1つあるとすれば、国際的約束を反故にされても日本側が強く応じないため、<形骸化>してしまったと受け止められかねない状況が生じてしまっているということである。
《合意の精神を踏みにじる文在寅政権の対応は、不誠実極まりない。日本政府は、国際社会にも理解を広げ、合意が漂流するのを阻止すべきだ》(同)
具体的に何を言いたいのかよく分からないが、こうなることは初めから分かっていたことであった。
当時私は次のように自身のブログに書いた。
<どうして日本の政治家はこんな幼稚な外交しか出来ないのか。安倍首相は、
《「大変ご苦労さまでした。韓国外相に『最終的、不可逆的な解決を確認』と言わせたのは大きい」》(2015年12月30日付産經新聞1面)
と言う。が、韓国がこの約束を守る保証はどこにもない。それどころか、1965年の「日韓請求権協定」を反故にして「慰安婦問題」の補償を求めてきているのである。こんな約束を信じるとすれば「くるくるパー」(loopy)である>(2015年12月30日付楽天ブログ) (注)2009年政権交代の際、鳩山由紀夫首相(当時)は米国側からloopyと呼び称されていた。
「くるくるパー」でなければ、親韓政治家が日本の政治を巣食っているということである。
政治家のみならずマスコミも同じである。
《韓国は、安全保障と経済の両面で欠くことのできない対等なパートナーである》(12月28日付毎日新聞社説)
《東アジアの安全保障環境を考えれば、日韓の協力は不可欠だ》(同、読売社説)
自衛隊哨戒機にレーダー照射し、抗議してもまったく反省の色も示さないような国とどうやって軍事協力が出来るというのだろうか。「敵国」であることははっきりしているではないか。そう考えれば、日韓慰安婦合意のみならず1965年の日韓請求権協定を反故にしたのも辻褄が合う。毎日や読売のような親韓新聞は国民の判断を誤らせる。【続】