保守論客の独り言

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「表現の不自由展」について(2) ~異国人に「表現の自由」は有りや無しや~

《「あいちトリエンナーレ」で芸術監督を務めた津田大介によれば、実行委には大量の脅迫FAXや脅迫メールが届いた。会場には妨害する右翼たちが集まり、警備上の問題もあったため、企画展は一時中止を強いられることとなった》(藤崎剛人『ニューズウィーク日本版』2021年06月14日(月)15時26分)

 <脅迫>や<妨害>が悪いのは論を俟たない。が、今回の場合、<脅迫>や<妨害>された側も相当悪質であると言わざるを得ない。

 日本人にとって天皇は特別な存在である。その天皇の肖像を焼くということは神をも恐れぬ所業と言う他はない。反動的に<脅迫>や<妨害>に走る極端な人達が出て来るのも、ある意味仕方のないことである。

 「表現の不自由展」は、謂わば日本の公序良俗に対する挑戦なのである。

《「表現の不自由展」のような企画が公共の施設から締め出され、右翼団体レイシスト団体によって潰されていくことを容認する者は、挑発的な言い方をすれば、憲法に書かれている「表現の自由」を死文化することに同意しているも同じだ》(同)

 が、日本国憲法第12条は言う。

この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

 憲法が保障する<表現の自由>には<公共の福祉>という制限がある。社会秩序を攪乱する<自由>まで認められるものではない。

ヘイトスピーチや差別的・ハラスメント的な表現に関しては許されるべきではない。ヘイトスピーチ規制法や男女共同参画社会基本法など最低限の基準は必要だ。だが、日本軍の戦争犯罪や象徴君主についての表現が、右派の主張するような「日本人差別」に当たらないことは言うまでもない》(同)

 どれが<日本軍の戦争犯罪>を表した作品なのか不明であるが、少なくとも特攻は<戦争犯罪>ではないし、昭和天皇も「戦争責任」はあったとしても、<戦争犯罪>に問われるようなことをなされたわけではない。

 「日本人差別」と言うに至っては馬脚を現したとしか思えない。「日本人差別」かどうかが問われるとすれば、作品は異国人の手によるものだと言っているに等しいことになる。これまで私はこのような観点で見たことはなかったが、言われてみれば、異国人による「日本人差別」に見えなくもない。

 作者が異国人であれば、天皇に対して不敬であってもおかしくないし、特攻隊に対して非情であるのも分かる。日本の公序良俗などどこ吹く風だろうし、公共の福祉など埒外であろう。

 「表現の不自由展」は、異国人に「表現の自由」は有りや無しやという問題だと考えるべきなのかもしれない。【了】