保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

稲田元防衛相の誤解(1) ~聞く耳を持たぬ独善~

稲田朋美元防衛相が、自身を批判した、産經新聞・阿比留瑠衣氏の記事に噛み付いた。

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  人間である限り誤ることもある。だから自分の方が間違っているのかもしれない。そう構えるのが「大人」というものだ。相手が阿比留氏のような実績評価のある新聞記者であれば尚更(なおさら)である。それを<事実誤認、歪曲だ>などと他者否定しているようでは人間としての器が小さいと言うより他はないだろう。

 稲田女史はLGBT法案推進の急先鋒である。御本人は「保守政治家」を自認しているようであるが、それこそが大きな勘違いと言うべきである。保守は観念的「正義」に安易に与(くみ)しない。LGBTへの理解を増進させることは「正義」だと思って疑わない時点で保守ではない。

《私は保守とは多様性を認め寛容であること、そして他者の生き方を認めるあたたかさや謙虚さだと思います》(「自民・稲田朋美氏『党内の反発は予想外』 LGBT法案提出できず『反省』」:東京新聞2021619 0600分)

 <多様性を認め寛容であること><他者の生き方を認めるあたたかさや謙虚さ>は、過去から現在に伝わり来たものを尊重し、これを未来へ受け渡そうとする「保守」の態度とは無縁である。<多様性><寛容><謙虚>を「正義」と見做すことは、むしろ「独善」であり、「全体主義」へと通ずるものである。

 <多様性>を認めよと迫ることはむしろ「画一」であり、<寛容>でなければならないということは「不寛容」そのものだ。<多様性>を認めるということは、<多様性>を認めないということをも包含しなければならないし、<寛容>には「不寛容」を認める寛容さがなければならない。LGBTの問題も、多様性は正義だという「画一」に陥ってしまっている。

《私については、表面上は変わったと思われるかもしれないですが、保守政治家の立ち位置、自分の中にある核は変わっていません。自分の国は自分で守る気概のある国、そして人と人との信頼関係や家族、地域の絆、みんなが社会から大切にされていると思える国、つまり「強くて優しい国」をつくりたいと思っています》(同)

 これも「保守」とは関係のない只の「メルヘン」である。

《多様性を認めること、すべての人を大切にすることは、むしろ国や家族や故郷を守ることにつながります》(同)

 どうして多様性を認めることが国や家族や故郷を守ることにつながるのか。何でも言えばよいというものではない。こんな非論理的なことが言えるのは、論理的に考えることを放棄しているのか、それとも国や家族や故郷を守るとは何かを本気で考えたことがないからではないか。【続】