保守論客の独り言

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川崎ヘイト条例について(3) ~<ヘイト>と<表現の自由>の線引きは不可能~

《今も続く差別的な街頭宣伝に恐怖や苦痛を感じている住民がいる。ネット上でのヘイト被害も深刻となっている。その現実のもとに今回の条例は成立に至った。一方で、憲法表現の自由との兼ね合いで、懸念の声もある》(12月13日付東京新聞社説)

 問題は、<ヘイト対策>に罰則を伴った<条例>が必要なのかどうかということである。言うまでもなくこの<条例>は<表現の自由>とぶつかる。当然、どこで<ヘイト>と<表現の自由>の線引きをするのかが問題となる。否、そもそも<ヘイト>かどうかは混沌(こんとん)としたものであるから線など引けるはずもない。線が引けないものに線を引こうというのであるから無茶苦茶なのである。

《条例には懸念もある。趣旨の解釈の「拡大」と「限定」である。市に委ねられた解釈が拡大されれば、正当な言説による批判が対象となる可能性が否定できない。条例の適用には慎重な運営が求められる。

 禁止行為の対象者が「本邦外出身者」に限定されているため、日本人は憎悪表現の対象ではないとの誤解を生む恐れもある。

 条例は日本人に対しても「不当な差別的言動による著しい人権侵害が認められる場合には必要な施策、措置を検討する」などとする付帯決議を盛り込んだ。法的拘束力はないが、その意思は尊重されなくてはならない》(12月14日付産經新聞主張)

 が、そもそも<禁止行為の対象者が「本邦外出身者」に限定されている>のであるから、基本的に日本人はヘイトの対象外である。もし日本人も対象とするのなら、付帯決議ではなく本文にそう書くべきである。

《条例も国の解消法も、日本人を守るべき対象に加えていない欠陥がある。ただ「本邦外出身者」が対象の国の解消法でも、衆参両院の付帯決議は「法が規定する以外のものであればいかなる差別的言動であっても許されるとの理解は誤りである」と明記している》(同)

 が、付帯決議はやはり付録に過ぎない。

《国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」の企画展をめぐり、昭和天皇の写真を燃やす動画などを「日本民族と皇族に対する憎悪表現」とする批判に、一部の識者やメディアから「日本人はヘイトの対象ではない」とする反論があった。根拠を解消法に求めるのならその理解は誤りである》(同)

 2016年に成立した国のヘイトスピーチ対策法がそのように悪用されるというのであれば、改正する必要もあろう。が、公序良俗に反することは表現の自由を逸脱しているとするのが憲法21条の精神であり、国のヘイトスピーチ法の対象外だと言って済む話ではない。【了】