保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

生活保護判決について(1) ~先例「朝日訴訟判決」~

《国が2013~15年に段階的に行った生活保護基準額の引き下げは、判断過程や手続きに過誤や欠落があり違法とする判決を、大阪地裁が言い渡した》(2月25日付朝日新聞社説)

 生活保護基準額に関して司法が判断することに私は少なからず違和感がある。今回の判決は、司法が支給額を算定したというわけではなく、<判断過程や手続きに過誤や欠落があり違法>としたとのことだが、それでも間接的に減額に待ったを掛けたということなのだから、やはり釈然としないものが残る。

 参考となる先例として「朝日訴訟判決」がある。

原告たる朝日氏は上告申立後、死亡した。上告審判決(最高裁昭和42・5・24判決)は、生活保護受給権はいわゆる一身専属の権利であり、相続の対象とならないとし、従って本件訴訟は原告の死亡によって終了したと判示したが、傍論として、本件の保護基準の適否についての判断を次のように示した。

(1)憲法第25条は個々の国民に対し直接に具体的権利を与えたものではない。具体的権利としては、憲法の規定の趣旨を実現するために制定された生活保護法によってはじめて与えられているというべきである。……右の権利は、厚生大臣が認定した保護基準による保護を受け得ることにあると解すべきである。

(2)「健康で文化的な最低限度の生活」なるものは抽象的な相対的概念であり、従って何がこの最低限度の生活であるかの認定判断は、一応、厚生大臣の合目的的な裁量に委ねられており、その判断は当不当の問題として政府の政治責任が問われることはあつても、直ちに違法の問題を生ずることはない。

(3)ただ、現実の生活条件を無視して著しく低い基準を設定するなど、憲法および生活保護法の趣旨・目的に反し、法律によって与えられた裁量権の限界を超えた場合または裁量権を乱用した場合には、違法な行為として司法審査の対象となる。

佐藤功日本国憲法概説』(学陽書房)全訂第4版、p. 284)

 この判決の傍論に対し、佐藤氏は次のような意見を付されている。

《保護基準が裁量の範囲内を超えて違法となるのは、「現実の生活条件を無視して著しく低い基準」である場合に限られるとしており、このことは第25条を単なるプログラム規定として解するのではなく、保護基準が違法となる場合があることを示していると解されるが、具体的にどの程度の基準がそれに当るかは明らかとされてはおらず、またそのような低い基準が設定される場合のあることを予想すること自体、憲法第25条が国の政策の目標として人間に値する生活を保障することを宣言した趣旨を失わしめるものではないかと思われる》(同、p. 285)​【続】​