保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

最高裁大法廷が再び夫婦別姓を認めなかったことについて(5) ~4人の独善的違憲判断~

《審理した15裁判官のうち4人は、逆に違憲とする見解を明らかにした》(6月24日付朝日新聞社説)

 具体的に検討してみよう。

三浦守裁判官の意見

 本件各規定は夫婦同氏を婚姻の要件としているが、現実の社会において家族のあり方が極めて多様化しており、家族の一体性や子の利益等を考慮するにしても、夫婦同氏制の例外をおよそ許さないことの合理性を説明できないこと、夫婦同氏制が現実に女性に対し不利益を与えており、婚姻前の氏の維持に係る利益が一層切実なものとなっていること等の事情の下では、法が夫婦別氏の選択肢を設けていないことは、憲法24条1項が保障する婚姻の自由を不合理に制約する点で、同条に違反する。

 そもそも「別氏の夫婦」なるものは、「夫婦」と呼び称するに値するのだろうか。一組の別氏の男女は「カップル」ではあっても「夫婦」ではない。だから「事実婚」と称しているのである。「カップル」に「夫婦」と同等の権利を与える必要がどうしてあるのか。

 選択的夫婦別姓を容認するということは、「夫婦」の定義を変えるということだ。が、果たして「夫婦」の定義を変えることの「合理性」はあるのだろうか。2015年12月の大法廷判決は、明治期から夫婦に同姓を義務付けた規定は「社会に定着しており、合理的」とした。<夫婦同氏制の例外をおよそ許さないことの合理性を説明できない>などと言うのは負け犬の遠吠えに過ぎない。<法が夫婦別氏の選択肢を設けていないことは、憲法24条1項が保障する婚姻の自由を不合理に制約する>というのも同様である。

宮崎裕子裁判官、宇賀克也裁判官の共同反対意見

 本件各規定は、当事者双方が、生来の氏名に関する人格的利益を喪失することなく、婚姻中かかる人格的利益を同等に享受するために、夫婦同氏とせずに婚姻することを希望する場合であっても、夫婦同氏を受け入れない限り当事者の婚姻の意思決定を法的に認めないとする制約を課す規定である。

 しかし、その制約に合理性があるとはいえず、これは、当事者の婚姻の意思決定は自由かつ平等であるべきことを求める憲法24条1項の趣旨に反する不当な国家介入に当たり、同項の趣旨に反する法律制度は、そのことのみで同条2項に違反する。

 <不当な国家介入>とは強く出たものだ。が、何をもって<不当>と称するのかをもっと説得的に語らなければ只の「扇動」(agitation)である。このようなおどろおどろしい言葉を用いて司法判断を攪乱(かくらん)するのは止めるべきだ。

草野耕一裁判官の反対意見

 選択的夫婦別氏制を導入することによって向上する国民の福利は、同制度を導入することによって減少する国民の福利よりもはるかに大きいことが明白であり、かつ、減少するいかなる福利も人権またはこれに準ずる利益とはいえない。それにもかかわらず、同制度を導入しないことは、あまりにも個人の尊厳をないがしろにする所為であり、もはや国会の立法裁量の範囲を超えるほどに合理性を欠くから、本件各規定は憲法24条に違反する。

 草野裁判官は、<選択的夫婦別氏制を導入することによって向上する国民の福利は、同制度を導入することによって減少する国民の福利よりもはるかに大きいことが明白>だと言うが、これは<国民の福利>というものを非常に狭い範囲でしか見ていないか、社会というものが分かっていないからだと思われる。

 選択的夫婦別氏制を導入すれば<家族>は揺らぐ。<家族>の安定が社会の安寧秩序にどれほど貢献しているのかが草野氏は分かっていない。伝統や慣習を継承する主体は個人ではなく社会であり、その社会の最小単位が<家族>である。選択的夫婦別氏制の導入は「文化破壊」である。【了】