保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

同性カップルの権利について(2) ~隔靴搔痒の要求~

《2015年には同性愛者ら450人余が日弁連に人権救済を申し立てた。日弁連は昨年7月、同性婚を認めないのは重大な人権侵害だとして関連法の改正を求める意見書を政府、国会に提出している》(329日付信濃毎日新聞社説)

 日本国憲法24条には、

婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。

 とあり、制定当時同性婚を想定していなかった。したがって、同性婚を認めるためには憲法を改正する必要がある。

 が、憲法24条を改正すれば、「蟻の一穴」(韓非子)と成りかねない。改正は24条だけにとどまらず、9条改正論にまで飛び火するのは必至である。それを護憲派は嫌っているから、靴の上から足をかくかのような、つまり「隔靴搔痒(かっかそうよう)の要求」となってしまっているのである。

《昨年2月には同性カップル13組が東京、大阪など4地裁に一斉に提訴した。憲法が保障する結婚の自由を侵害し、法の下の平等にも反すると訴えて違憲性を正面から問い、国に賠償を求めている》(同)

 24条の草案はGHQベアテ・シロタ・ゴードン女史が書いたという話だから賠償を求めるなら米国に対してではないか、などと言ってみても詮無きことである。日本は1952年の主権回復時に日本国憲法とは名ばかりの「占領統治法」を改めるべきであったにもかかわらず、変える勇気がなかったのか、それとも、例えば「吉田ドクトリン」(軽武装・経済復興最優先)のように変えずにうまく利用しようとしたのか簡単には言えないけれども、いずれにせよ継続使用することにしたのであるから、やはり日本の側に責任があると言うべきである。

《同性間の関係をめぐっては、ここへきて裁判所の踏み込んだ判断も目に留まる。宇都宮地裁真岡支部は昨年9月の判決で、価値観や生活実態の多様化を踏まえれば、婚姻を男女間に限る必然性があるとは断じがたいと述べた》(同)

 裁判官とて人間であるから時勢に左右されるのは致し方のないことではあろうけれども、<価値観や生活実態>が<多様化>したからといって<婚姻を男女間に限る必然性があるとは断じがたい>と断ずるのは軽率の誹(そし)りを免(まぬ)れぬに違いない。

 法律は時代の後追いである。したがって、時代を後追いした法律を用いて行われる裁判は保守的にならざるを得ない。そのことを嫌って法律の先を行こうとすると恣意的な「解釈改憲」を行うことになってしまう。【続】