《感染症は人の接触から蔓延(まんえん)し、生産活動を妨げて、供給と需要を同時に阻害する。そうだとすれば、対策としてはコロナを収束させることが第一となる。
なすべきことは、米国のシンクタンク(新経済思考研究所)の論文の、簡潔な表題の言葉に示されている。「経済を救うには、まず人を救え」
遅すぎたとはいえ、菅首相が「Go To トラベル」事業を年末年始の期間、一時停止したことは評価してよかろう。
もしこれを機にコロナが収束に向かい、オリンピック・パラリンピックが無事に開催されるようになれば、日本は世界に対して胸を張れるだろう》(1月1日付読売新聞社説)
よくこんな頓珍漢な、しかも、上から目線の社説が書けるものだ。コロナは世界的なものであり、たとえ日本が頑張って国内の感染を抑え込んだとしても、それだけで収束するわけではない。経済回復も国際的なものであるから、日本だけで考えるような問題ではない。
また、「Go To トラベル」は、どれほど感染拡大に関係しているというのか。一体どういう立場で<一時停止したことは評価してよかろう>などと言っているのか。
そもそもこのような観光業界を優遇する依怙贔屓(えこひいき)政策を採ることの方が問題だったと私は思っている。
《コロナ禍の混乱と国際秩序の動揺。協調と競争。4つの要素が絡み合いながら同時進行する、複雑な時代である。
状況に適応するためには自己改革が必要だ。しかし同時に、変化に引きずられて平和と安全、自由と民主主義など、国家の基本に関わる大切な価値を失うことがあってはならない。
何を変え、何を守り抜くか。物事を見極める英知と実行する勇気が、いま問われている》(同)
もはや何を言っているのか分からない。<平和と安全、自由と民主主義>が失われかねないが、必要な<自己改革>とは何なのか。
《日本は、まずバイデン米新政権との間で日米同盟の強化を急ぐとともに、国際社会の課題解決の努力やルール作りに積極的に参加して、発言権を確保すべきだ。
事態を傍観していたら、不利な条件を押し付けられ、国益を損なうことになりかねない》(同)
読売が親米民主党の新聞であることが分かるが、バイデン氏が新大統領となるにはまだ幾つか乗り越えなければならない壁がある。例えば米国防総省がバイデン新政権に引継ぎを行うことを拒否しているということからもそれが分かる。つまり、バイデン氏は日本と交渉できるような状況にはまだないと考えるべきなのではないか。
百歩譲ってたとえバイデン氏が大統領になるのだとしても、就任前に急いで交渉しなければならないようなことは何があるというのか。外交関係を「椅子取りゲーム」のように考えるのは軽薄であり軽率である。
否、そもそもバイデン氏が日本に対してどのように振る舞おうとしているのか分からない状態で、バイデン氏に寄り添おうとすれば、只の言いなりになるしかない。それこそ<国益を損なう>ことにはならないのだろうか。【続】