保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

選択的夫婦別姓について(6) ~伝統とは長い目で見るべきもの~

《結婚制度や夫婦のあり方というのは、非常に長い時間で見ないと、いいか悪いか本当のことは分らないものだ、ということなんです。「人間一人の一生では見切れないものが沢山ある。それが伝統というものだ」とハイエク先生から直接聞いたことがありますが、長い時間をかけて取捨選択されて残ってきたのが伝統の知恵なわけです。大多数の害になっていることが明らかに感じられる場合以外は、あまりいじくらないほうがいい》(渡部昇一「第8章 夫婦別姓論議と伝統」:『日本人の本能』(PHP)、p. 201)

 大事なのは「社会秩序」であって、自由社会においても秩序を破壊する自由まで認めるわけにはいかない。

《男女の機能が分化したのは、はるか40万年前だといいます。現在のような物質的な急激な発達はここ2、30年のことですから、それによる男女関係の変化がどのくらい人間性の本質まで関わる変化なのか、あるいは歴史上の一種のフリーク現象で終るのか、予測がつかないんです。もう100年もすればかなりよく分ると思うんですが。だからいまの所は結論は下せないので、新しい試みをやりたい人にはやらせてみたらよい。しかし全体が急激に新しい試みに走るということに対しては慎重であってよいと思います》(同)

 社会秩序を乱さないためには、変革は漸進(ぜんしん)的であれ、ということである。

《社会システムに関してはダーウィニズムが有効である、というのがまたハイエク先生の意見でした。いろんな文明国で沢山の社会制度がある、それらが接触しているうちに、より優れた制度が自然と勝って残るというんです。最近ではわれわれは自由主義圏と共産主義圏の接触で、完全に共産主義圏がつぶれたのを見ました。これは戦争をして意図的につぶしたのでも何でもない。システムの生存競争で潰れただけです。

 私は社会システムがダーウィニズムの支配を受けるというのは動かない事実だと思いますので、丁寧に眺めたいのです。それには私たちのライフ・スパンはしばしば短すぎる。社会主義自由主義のどちらが優れているかの判断は5年前に死んだ人は結論が出なかったわけです。3年前に死んだ人も分らなかった、われわれは分るけれども》(同、pp. 201-202)

 (注)『諸君』1991年8月初出、冷戦終結は1989年。

《だから、家庭制度や男女関係において、どういうのが理想的なあり方かということも、時間をかけなければ分らないことなのであって、本当に耐えがたいような弊害が出ない限り、伝統は安易に変えるべきではないのではないでしょうか》(同、p. 203)【了】