保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

行政改革会議最終報告を読む(2) ~「統治客体意識」なる妄想~

《保守派は「改革」を、というより改革と聞いただけで良き事態の発生を予期してしまう独断を、忌避する。このようなドグマは、「持続せるものへの愛着」を持たぬものたちに特有の、進歩主義という「偽装のイデオロギー」(固定観念)であり、それがかならずや「伝統」を破壊するのだ。

改革を叫び立てるものたちは、改革のための大前提が自分らの情熱や理性のなかに自然に備わっていると思い違いをしている。情熱を節度あらしめ理性を健全たらしめるのは伝統であるということに思い至らないのである。そのような粗忽者(そこつもの)が近代においておびただしく誕生したことにたいして保守派は強い批判の態度を持している。だから「改革」の風潮に背を向けるのが保守派の習性となりもするのである》(西部邁『国柄の思想』(徳間書店)、p. 11)

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《今回の行政改革の基本理念は、制度疲労のおびただしい戦後型行政システムを改め、自律的な個人を基礎としつつ、より自由かつ公正な社会を形成するにふさわしい21世紀型行政システムへと転換することである、と要約できよう》(行政改革会議:最終報告:Ⅰ 行政改革の理念と目標)

 <疲労の夥(おびただ)しい>のは<自律的な個人を基礎>とする戦後体制自体であろう。

 日本国憲法曰(いわ)く、

 第13条 すべて国民は、個人として尊重される。

 が、このようなことを憲法に書きこんだだけで日本人が個人主義になるはずもない。それが分からず、屋上屋を架すかのように<自律的な個人を基礎としつつ>などと再度転換を促すのもまた傲慢と言わざるを得ない。

《その際、まず何よりも、国民の統治客体意識、行政への依存体質を背景に、行政が国民生活の様々な分野に過剰に介入していなかったかに、根本的反省を加える必要がある。徹底的な規制の撤廃と緩和を断行し、民間にゆだねるべきはゆだね、また、地方公共団体の行う地方自治への国の関与を減らさなければならない。「公共性の空間」は、決して中央の「官」の独占物ではないということを、改革の最も基本的な前提として再認識しなければならない》(同)

 いかにも現状に不満たらたらの改革派が好む言い回しである。<統治客体意識>なる特殊用語を用いて日本人の主体性の無さ、そしてその民族性を断罪する樣は独り善がりそのものである。

 この<統治客体意識>なる言葉は「司法制度改革審議会意見書」にも現れる。

《我が国は、直面する困難な状況の中にあって、政治改革、行政改革地方分権推進、規制緩和等の経済構造改革等の諸々の改革に取り組んできた。これら諸々の改革の根底に共通して流れているのは、国民の一人ひとりが、統治客体意識から脱却し、自律的でかつ社会的責任を負った統治主体として、互いに協力しながら自由で公正な社会の構築に参画し、この国に豊かな創造性とエネルギーを取り戻そうとする志であろう》(「21世紀の日本を支える司法制度」:I 今般の司法制度改革の基本理念と方向)

 むしろこの恐ろしく現実離れした「妄想」こそが改革と称する乱痴気騒ぎの正体と言うべきではないか。このような国民の声が聞こえるのだとしたら、それは「幻聴」である。【続】