保守論客の独り言

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行政改革会議最終報告を読む(3) ~「司馬史観」という脆弱な土台~

これら一連の文章を物した人物は憲法学の権威、佐藤幸治京都大学名誉教授ではないかと推測される。実際、佐藤氏は自著に次のように書いている。

《8月の集中審議に向けて、これら3つの柱を内容とする「行政改革の理念と目標」を私が執筆するよう求められました。行政改革会議事務局の若い調査員の献身的な助力を得、また、同僚である若い土井真一教授の意見・感想を求めながら、文章をまとめました。このときの各種議論は、今思い出しても楽しくなります。文章は、8月18日から始まった集中審議の冒頭で討議され、若干の表現は別として、異議なく了承されました。『最終報告』における「行政改革の理念と目標」は、それがベースになっていることはいうまでもありません》(佐藤幸治日本国憲法と「法の支配」』(有斐閣)、p. 196)

 政府は「改革」に箔を付けるための御用学者を見繕う。意見を積み重ねて「改革」という結論が導かれるわけではない。だから「改革」の理由は「唐突」なのである。まさに「『改革』先にありき」ということである。

《司馬氏の論述からも知られますように、しばしば日本人について指摘される、“集団に埋没する個人”といった特性は、決して日本の国民の不可避的な特性ではありません》(同)

 日本人の特性は歴史文化の積み重ねによって得られた自生的なものであり、一朝一夕に変えられるようなものではない。問題なのは、むしろ戦後知識人が抱く「妄想」の方であり、<集団に埋没する個人>を見る「幻覚」の方である。

《私流にいえば、日本国憲法は、(司馬)氏が評価された日本の国民の良き特性をより洗練し、鍛えようとする側面をもっており、またそういうように理解すべきではないかと思っております》(同)

 戦後憲法が<日本の国民の良き特性をより洗練し、鍛えようとする側面をもって>いるなどと言うのは佐藤氏が憲法馬鹿だからなのであろう。戦後憲法は誰が書いたのか。マッカーサー率いるGHQではないか。その目的は日本国民を<洗練し、鍛えよう>としたものではない。日本が二度と米国の脅威とならないために「弱体化」を図るためのものであった。

 勿論、それらしいことも書かれてはいる。が、総じてみれば、日本の伝統文化を否定するものであったことは疑うべくもない。

《集中審議の際、河合隼雄委員は、理念・目標(案)は司馬史観を越えようとするところがあるのではないか、と指摘されました》(同)

 が、司馬氏は歴史小説家ではあっても歴史家ではない。司馬氏が日露戦争以降を書けなかったのはなぜなのか。日清、日露戦争までは良かったとする<司馬史観>が破綻するからではなかったか。

 <司馬史観>を土台としていること自体、行革の論理は端(はな)から破綻していたと言うべきではないか。【了】