《「3助」について、首相の説明に見当たらないのはそのバランスです。共助には地域のつながりやNPO活動などに加え、保険料を出し合って生活を守る年金、医療、介護、失業給付などの社会保障制度も含まれます。そこから漏れる人を税で支える生活保護や各種の福祉制度が公助です。
あくまで共助、公助は補完的な役割にすぎず中心は自助なのか、あるいは共助と公助が連携して生活を守ることで自助が可能となる社会にするのか。社会保障制度の将来像が見えないことも、もやもやを増幅させています》(11月8日付東京新聞社説)
おそらく菅義偉首相は、公助の肥大化を牽制する意味で「自助・共助・公助」と言っているのだと思われるが、福祉主義者たちはこれに面と向かって反論できず、この「遣る瀬無さ」が“もやもや”した気持ちにさせるのであろう。
社説子は、<自助・共助・公助のいわゆる「3助」は自民党の考え方>でもあると言う。
《「個人の創意と責任を重んじ、これに総合計画性を付与して生産を増強するとともに、社会保障政策を強力に実施し、完全雇用と福祉国家の実現をはかる」
1955年の立党宣言などにこうあります。個人や民間の活動を軸に政府も役割を担うという意味でしょうか。
2010年に立党55年を迎えて策定した新綱領は明確です。
「自助自立する個人を尊重し、その条件を整えるとともに、共助・公助する仕組を充実する」》(同)
改めて自民党の綱領を見直して引っ掛かったのが<個人>という言葉である。
<個人>という言葉は明治期の翻訳語とされる。
《individualということばは、当時(=明治初期)の日本人にとって、とても分りにくい意味のことばであった。それは、societyということばが分りにくかったのと、本質的に同様である…individualとsocietyとは、たがいに密接に係わり合う意味のことばなのである。
やがて、societyが「社会」と訳されたころ、individualは「一個人」と訳される方向に急速に向っていき、さらに後その「一」がとれて「個人」となった。しかし、「社会」という翻訳語がsocietyということばの翻訳という問題を解決していた、とは決して言えなかったように、「一個人」や「個人」は、individualの意味をよく伝える訳語ではなかった。「個人」の「個」とは、一個、二個と数えるときの「個」であり、その「個」に「人」が組み合わされた「個人」という複合語は、日本語における伝統的な漢字の語感とは、ずい分ずれていたに違いないのである。
「一個人」や「個人」という訳語の登場は、むしろ原語individualの意味を伝える翻訳をあきらめ、放棄し、「英華字典」経由の、違和感のある、意味の乏しい漢字造語に逃避したと見ることができる、と私は思う》(柳父章『翻訳語成立事情』(岩波新書)、pp. 26-27)【続】