《聯盟(れんめい)の理念は、徐々にすべての國家の上に擴(ひろ)がるべきであり、かくて永遠平和にまで導いて行くのであるが、その實現(じつげん)性(客観的實在性)は證示(しょうじ)せられ得るのである。何故かと言へば、もし幸運にも、ある強力にして且(か)つ啓蒙された一民族が共和國を形成し得たとするならば、(共和國はその本性上永遠平和に傾くべき筈(はず)のものであるから、)この共和國は他の國家に對(たい)して聯盟的統一の中心點(てん)となり、かくしてこれらの國家と結合し、國際法の理念に從つて諸國家の自由状態を保證し、このやうな種類の結合の多くを通じて徐々に益々遠くまで擴がつて行くからである》(カント『永遠平和の為に』(岩波文庫)高坂正顕訳、pp. 35-36)
小沢氏は、あたかもこのカント言うところの<聯盟的統一の中心點>に日本がなれとばかりにけしかける。
《現在の国連機関は第2次大戦後の世界秩序を構築するために戦勝国がつくったものである。必然的に、戦勝国の国益に合致したものとなっている。安全保障理事会の拒否権つき常任理事国制度がその最たるものである。皮肉なことに、その制度が国連を機能マヒに陥れてきた。新しい秩序の構築が模索されている今日、このような国連機構は当然、見直す必要があり、日本は改革に積極的に参画すべきである》(小沢一郎『日本改造計画』(講談社)、p. 129)
UN憲章の「敵国」に当たる日本が国連改革に参画できるわけがない。にもかかわらず、このように言われれば、何か出来そうな気がしてしまう。
《第1は、国連を改革し、国連にアメリカが積極的にかかわるよう働きかけることに成功すれば、日本は、新しい世界秩序の基礎を築くことになる。間違いなく、新時代の創業者といえるだろう》(同、p. 130)
諸悪の根源は戦勝国体制にあり、これを変えなければUN改革とは言われないだろうが、そのようなことが出来るはずもなく、こんな<幻想>を振りまいても無意味である。
《第2の段階は、一見、夢のような話だが、核兵器を国連の管理の下に置くことだ。
この政策は決して、まったく非現実的なものではない。アメリカとロシアの間で大幅な核軍縮が進み、たとえばお互いの都市を人質とする戦略にまで戻ったとすると、今度は両国の核戦略が両国間の国際関係の実態とまったくかけ離れたものになる。そうなると、両国が核兵器を持っている価値はほとんどゼロに近くなるのである。そして、財政負担の重さとわずらわしさだけが感じられるようになる。そのときこそ国連が核兵器を管理するチャンスである。
管理といっても、国連がどこか特定の場所に集めて保管するのではない。各国の核装備部隊を国連が一元的に指揮、管理、運営する。つまり、もともとはそれぞれの国の指揮、管理を受けていた各国の核装備部隊が、現在地にとどまったまま、その国の政府や国防軍の指揮、管理から離れて、国連によって一元的に管理され、財政的、技術的支援を受けるのである。
こうして国連が全加盟国に核の傘を提供し、同時に各国が極秘に核兵器を開発するのをチェックする。これが究極の核拡散防止体制であろう。現在のように、特定国の核保有だけを認めて他の国の核保有を認めないのは、どう考えても不公平であり、かえって核保有国の増大を招く恐れが大きい》(同、pp. 132-133)
こんな非現実的なことがよく言えたものだ。米ソは対立しているから核を保有しているのであって、その核を共同で管理することなど有り得ない。共同で管理できるような信頼関係があれば、そもそも核など不要である。【了】
(追記)今の小沢氏の言動と『日本改造計画』とは月とスッポンほどの違いがある。それもそのはず、「代筆者」(ghost writer)の存在が暴露されている。
御厨: 小沢さんの『日本改造計画』をつくった連中というのがいるんです。ここにはぼくも入っていましたけれども、政治の部分はぼくと飯尾(潤)が書いて、外交と安全保障は北岡伸一、経済は竹中平蔵と伊藤元重が書いたんですよ。(御厨貴・芹川洋一『日本政治 ひざ打ち問答』(日経プレミアシリーズ)、pp. 72-73)