保守論客の独り言

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UN創設75年について(5) ~小沢一郎『日本改造計画』~

「国連幻想」の好例として小沢一郎日本改造計画』(1993年刊)がある。

《冷戦時代の国連は、米ソによる覇権争いの場だった。このため、双方の拒否権によって何ひとつ有効な平和維持政策をとれなかった。東西両陣営の上に浮いた存在だったといえる。ところが、ポスト冷戦の時代に入るや状況が一変した。ソ連が消滅してイデオロギー闘争が終わると、長い冬眠から覚めたかのように、国連の活動がにわかに活発化してきたのである。

 米ソの対立にともなう拒否権の乱発が姿を消したからだ。ソ連の継承国家であるロシアはいまだに国内が混乱し、中国は共産主義体制を維持しているものの、基本的には西側諸国との協調路線をとっている。かつてのように西側との間で重大な意見の対立が見られなくなった。その結果、国連は必要な安全保障政策を積極的に決定できる状況になっている。

 国連は創立以来、初めて国際政治における安全保障の砦(とりで)としての基本的な条件を備えることが可能になってきた。その可能性を、日本は他のどの国にもまして追求していかなければならない。そのための努力こそ、日本がこれからの世界を生きてゆくための必要条件である》(小沢一郎日本改造計画』(講談社)、p. 128)

 今から見れば、このような考え方は単なる<幻想>に過ぎなかったということは明らかであろうが、それでもなおこの<幻想>には得も言われぬ「魅惑」がある。同書には、哲学者カントの平和論を想起させるところがあるからかもしれない。

《国家に對(たい)しては、無法則的状態にある人間に對しては、自然法によつて妥當(だとう)する命令、即(すなわ)ち「かかる状態から脱却すべきである」との命令が、必らずしも國際法によつて妥當するとも言へないのである。(何故かと言へば彼等はそれぞれに國家として國内に既に法的體制(たいせい)を有してをり、従つて他の國家が、それを自己の法概念に從つて、より擴大(かくだい)された法的體制に齎(もた)らさんとしても、かかる強制には服さないでよいからである。)

しかしそれにも拘(かか)はらずなほ理性は依然として最高の道徳的立法權(けん)の王座から、訴訟手續(てつづき)としての戰爭を絶對に禁止し、これに反し平和状態を直接の義務なりとなす、しかもかかる平和状態は諸民族相互の間の契約なくしては樹立され得ず、また保證(ほしょう)もされ得ないのである。―かくて以上に述べ来つた理由によって平和聯盟(れんめい)(foedus pacificum)と呼ばれ得る特殊な種類の聯盟が存立しなければならないことになる》(カント『永遠平和の為に』(岩波文庫高坂正顕訳、pp. 34-35)【続】