《まず世界の核兵器の9割を専有する米国とロシアが削減に動くべきだ。
両国に残る唯一の核軍縮ルールである新戦略兵器削減条約(新START)は、来年2月に期限を迎える。青天井の軍拡を防ぐために、両政府は延長の合意を結ばねばならない。
リスクの削減策として、核の「先制不使用」宣言や警戒態勢の緩和も実行すべきだろう。
やがては中国を巻き込む軍縮体制づくりを急ぐ必要があるが、それには米ロが行動を始めなければ道は開けない》(8月5日付朝日新聞社説)
確かに、核兵器の保有数からすれば米露の問題となるが、対立構造は今や米中へと移行している。つまり、米露の核軍縮などピンボケもいいところである。
今後の核軍縮は米中露の「三すくみ」で考えるべきである。が、米露2カ国でも纏まらない話を米中露3カ国でまとめようとしても難渋を極めるであろう。
また、朝日社説子は<核の先制不使用宣言>などということを言っているが、たとえそのような宣言をしていても、核兵器を使用するかどうかの最終局面において米中露がそのような宣言に縛られるとはとても思えない。
《「核兵器は非人道的であり、二度と使わせてはならない。その唯一の道は、国際法で違法な存在と位置づけることだ」。3年前に採択された核兵器禁止条約には、そんな認識がある。
批准国は着実に増え、年内の発効もありえる段階まで来た。広島・長崎の被爆者が我が身をあかしに長年訴えてきたことが国際的に定着し、違法化にまで至ろうとしている。
だが日本政府は、日米安保条約で米国の核による拡大抑止、いわゆる「核の傘」の下にいることを理由に、条約に背を向けている。狭い安全保障観にとらわれ、真の国際潮流から目を背ける態度というほかない》(同)
批准国は核兵器保有国と対峙していない国であろう。日本のように核攻撃の脅威に晒されている国は、そんな悠長なことは言っていられない。残念ながら、核兵器と無縁の国がいくら集まっても、<真の国際潮流>を生み出すことは出来ない。
《日本は核保有国と非保有国との橋渡し役を自任している。ならばなおさら、核禁条約への加盟を視野に関与すべきだ。加えて、核保有国に先制不使用の宣言や、多国間の核軍縮交渉を促す。そうした努力こそが戦争被爆国としての責務である》(同)
同じようなことを他紙社説も言っている。
が、被爆国には核兵器廃絶を訴える「権利」があるというのなら分かるが、どうしてあべこべの<責務>があると言うのだろうか。余りにも「卑屈」ではないか。
が、このような「卑屈」の上に成り立っているのが戦後日本の平和主義というものなのだろう。平和主義はこのような「倒錯」の上に成り立っている。【了】