保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

大阪都構想再否決について(1) ~政治とは固い板に穴をあけてゆく力強い緩慢な仕事~

私は先月のブログに「大阪市廃止」住民投票について書いた。

大阪市廃止住民投票について(1) ~大阪市廃止は単なるジリ貧~(10月14日)

大阪市廃止住民投票について(2) ~3S政策~(10月15日)

大阪市廃止住民投票について(3) ~漸進主義~​(10月16日)

大阪市廃止住民投票について(4) ~全体主義的手法~​(10月17日)

大阪維新の会大阪市を廃止するという急進的に過ぎる改革も駄目だが、同時に、既得権益にしがみ付くだけにしか思えない、右は自民党から左は共産党までの政党連の理念なき、展望なき反対も駄目だ。したがって、住民投票で賛成しようが反対しようが大阪は良くならない。それが悲劇だと述べたのである。

― 〇 ―

反対多数が確定した後の記者会見で、大阪維新の会松井一郎代表は次のように応答した。

--松井代表に聞く。今回の敗因は何と考えるか。また、住民投票で否決された場合、市長の任期満了後に政界を引退するという考えを示していたが、その考えは変わっていないか。

松井「敗因は僕の力不足です、力及ばずということ。維新の先頭で旗を振ってきたが、2度目の負け。政治家として、けじめはつけなければならない。(令和5年春の)市長任期をもって政治家終了とします」(2020.11.1 23:33産経WEST)

 <力不足>という言い方は「謙虚」に思われるかもしれない。が、このように言ってしまっては構想自体には問題がなかったということになってしまわないか、「人」の問題で終わらせて良いのかと、私は松井氏の発言を聞いて疑問に思った。

 やはり最大の問題は、「大阪都構想」が多くの住民にとって受け入れがたいほど急進的に過ぎたというところであり、そのことを反省しない限り、大阪維新の会は先へ進めないのではないか。

 橋下徹氏が立ち上げ、大阪維新の会がやってきたこの10年を全面的に否定したいとは思わない。大阪の政治のぬるま湯体質に切り込んだことは大いに評価されてよい。が、積年の既得権益を打破しようと画策するうちに、「大阪都構想」などという「幻想」に憑(と)りつかれてしまったのが残念だったと言うしかない。

 長い年月を掛け堆積された悪習、悪弊は一朝一夕に改めることは難しい。にもかかわらず、短兵急に風景を一掃してしまおうなどと考えたところに無理があったのである。

《政治とは、情熱と見識とによって固い板に穴をあけてゆく力強い緩慢な仕事であります。もしも世の中で不可能なことを成し遂げようとする試みが繰り返されなかったならば、可能なことも成し遂げられなかったであろうというのは全く正しいことで、あらゆる歴史的経験がこれを裏書きしているところであります。しかし、それが出来る人は、指導者でなければなりません。いや、指導者であるだけでなく、―甚だ真面目な意味で―英雄でなければなりません。

 そして、指導者でも英雄でもない人たちも、いかなる希望の挫折にも耐えられるような堅い意志で直ちに武装しなければなりません。そうでなければ、今日可能なことも実行することが出来ないでしょう。彼が世界に献げようとしているものに比べて、世界があまりに愚かで卑しい―と彼が思う―場合にも、それに挫けない自信のある人、何事に対しても「それにもかかわらず」と言える自信のある人、そういう人だけが、政治への「天職」を持っているのであります》(マックス・ウェーバー『職業としての政治』清水幾太郎・清水禮子訳:世界の大思想29『ウェーバー 政治・社会論集』p. 431)【続】