保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

アベノミクス検証について(3) ~計画経済か家父長的か~

《金融緩和と財政出動だけでは景気を刺激しても一時的で終わるのが通例だ。民間主導の成長にバトンタッチできなければ、本格的な回復は望めない。アベノミクスも金融、財政に続く第三の矢として成長戦略の強化を目指した。

 首相は選挙のたびに成長戦略と称して「地方創生」「1億総活躍社会」「人生100年時代」などと耳目を引く看板を掲げた。

 本来なら、いずれも政権が全力を挙げて取り組むべき重要なテーマである。しかし、首相は看板を頻繁に取り換えた末、どれも中途半端に終わらせてしまった》(8月31日付毎日新聞社説)

 <成長戦略>として「地方創生」「1億総活躍社会」「人生100年時代」などという看板を掲げるのだとすれば、それは「計画経済」と呼ぶべきものであり、だとすればマルクス経済学の影がちらついてくる。

《安倍首相の成長戦略は官製のスローガンや数値目標を前面に押し出し、その方向に家計や企業を誘導するパターナリスティック(家父長的)な体質があった。それよりも規制緩和などで民間の創意工夫を引き出す環境づくりに徹した方がよかったのではないか》(9月2日付日本経済新聞社説)

 「計画経済」と呼ぶべきか「家父長的」と言うべきかはさて措き、成長戦略には<規制緩和>が重要であったと私も思う。が、このことを指摘しているのは日経以外に沖縄タイムスが目に付いただけである。が、両社説とも何が問題であったのかへの言及はない。

 最高潮だったのは農協改革であった。2014年5月、政府規制改革会議はTPP交渉の足かせとなる農協の改革に着手し改革案をまとめた(山下一仁「「アベノミクス」の農協改革 これで終わらせてはならない」)。が、芳(かんば)しい結果が得られなかったことは承知の通りである。

 規制緩和の象徴となるはずだった「国家戦略特区」も加計学園問題で頓挫した。

《「働き方改革」や「一億総活躍」といった問題意識は正しくても、本丸に切り込めないのでは意味がなかろう。働き手がデジタル分野の新たな知識や技能を身につける能力開発の支援、より良い待遇を求めて柔軟に職を変えられる流動性の高い労働市場の整備で、より踏み込んだ施策がほしかった》(同)

 否、逆に私は問題意識がおかしかったのだと思う。日本のような自由主義経済社会において「計画経済」が中途半端に終わるのは無理からぬことである。

 ついでに言えば、日経社説子は経済紙らしく他紙では取り上げないようなことに言及しているが、デジタルリテラシー教育や労働力流動化といった話は優れて個別的問題でしかなく、成長戦略の本丸とはほぼ無関係であろうと思われる。【続】