村山富市元首相は言う。
「当時、私は「村山談話」の作成に際し、作成実務を担った担当幹部に対して、一番、肝心な事は、侵略と植民地支配によって、中国・韓国・朝鮮など、アジア諸国の人々に耐えがたい被害と苦痛を与えた歴史的事実を明確にして謝罪の意思を示し、二度と侵略や植民地支配を繰り返さない決意を表明する事だと、強く指示しました」(「村山談話に託した想い」)
<中国・韓国・朝鮮など、アジア諸国の人々に耐えがたい被害と苦痛を与えた>などというのは村山氏の個人的な歴史解釈にすぎないのであって決して<歴史的事実>と呼べるようなものではない。韓国併合によって、インフラは整備され、教育は普及し、米の生産は倍になり、結果として人口も倍増した。これを村山氏が<耐えがたい被害と苦痛>と言うのは勝手である。が、「村山解釈」は決して<事実>ではない。
シナ事変の始まりとされる盧溝橋事件もシナ共産党が日本軍とシナ国民党軍を嚙合わせるために仕組んだ謀略であった。
《慮溝橋事件については、戦後になって重大な事実が明らかになってきた。
それは、この事件が中国共産党の仕組んだワナであったということである。つまり、日本軍と国民政府軍の衝突を意図的に作り出して中国共産党が「漁夫の利」を得ようとしたのだ。盧溝橋の国民政府軍の中に中共軍のスパイが入り込んで、日本軍に向けて発砲したということは、公刊された中国側資料の中に記述されているし、また、日本側でも盧溝橋事件直後、中共軍司令部に向けて「成功せり」という緊急電報が打たれたのを傍受したという証言もある》(渡部昇一『読む年表 日本の歴史』(WAC)、p. 233)
「日本の多くの良心的な人々の歴史に対する検証や反省の取り組みを「自虐史観」などと攻撃する動きもありますが、それらの考えは全く、間違っています。日本の過去を謙虚に問うことは、日本の名誉につながるのです。逆に、侵略や植民地支配を認めないような姿勢こそ、この国を貶(おとし)めるのでは、ないでしょうか」(「村山談話に託した想い」)
歴史を自虐という檻に閉じ込めることを「良心的」と称するのは欺瞞(ぎまん)でしかない。結果、日本人の多くが自虐史観に背くことは良心に背くことだと思い込み、自虐史観の檻の外に出ようとしない。米中露戦勝国にとってこれほど有難いことはない。
かの戦争を<侵略>だと決め付けるのは一面的、単純に過ぎる。歴史とはもっと多面的、複雑なものだ。
日本が戦ったのはアジアを植民地化していた欧米帝国主義国である。日本が勝利することで結果、アジアは欧米の植民地から解放された。これを「解放戦争」と呼ぶことが適当かどうかは議論のあるところではあろう。が、少なくとも「侵略戦争」だと言い切ってしまえるようなものではなかったことだけは慥(たし)かである。【了】