保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

“Black Lives Matter”について(2) ~「力」で抑え込むしかない米国~

今回の“Black Lives Matter”運動の高まりが、ジョージ・フロイド氏の死亡が切っ掛けとなったという意味では、「黒人のは大事」という意味合いが強いのだろうけれども、根底に米国社会における黒人差別問題があるという意味では、「黒人の生活は大事」という意味合いも含まれてくるのだろうと思われる。

 UN(通称国連)人権専門家は次のような声明を出している。

《ジョージ・フロイドの殺害は世界の人びとに衝撃を与えた。だがそれは全米の黒人の毎日の現実である。全国に広がるデモは、国家ぐるみの人種的暴力を生み出し、不処罰を許している制度的人種差別への抗議である。

デモはまた、この数カ月におけるその他数多くの無視できない制度的人種差別の発現に対する人びとの不満と抗議を表している。それらには、COVID-19の死亡率やパンデミックの社会経済的影響に見られる人種間の格差、そしてパンデミック関連の規制の人種差別的な実施がある。この制度的人種差別はジェンダー化されている。

今世界が目撃している抗議は、合衆国における黒人およびその他有色の人びとの生活を特徴づけている根本的な人種的不平等と差別への拒絶である》(「合衆国の制度的人種差別への抗議声明」)

 かなり政治色の強い集団であるから割り引いて考えなければいけないけれども、日頃抑え込まれている米国の闇が今回の事件で露呈したということである。

 米国独立宣言は言う。

We hold these Truths to be self-evident, that all Men are created equal, that they are endowed, by their CREATOR, with certain unalienable Rights, that among these are Life, Liberty, and the Pursuit of Happiness.

(我々は、すべての人間が平等に創られ、創造主によってある種の奪うことのできない権利が与えられ、これらの中には生命、自由、および幸福の追求があるというこれらの真理が自明の理であると考える)

 言うまでもなく、これは「建前」に過ぎない。が、この理念を現実に近付けていく努力がなければ、「偽善国」と言われても致し方ない。

 “Black Lives Matter”は、黒人の平等要求と考えるべきではない。黒人を差別してきた白人と平等になるというのは「矛盾」である。

 求められているのは、米国社会から「人種差別」を無くすことである。が、果たしてそれは可能なのか。黒人を差別し搾取することで得られてきた「幸福」を白人は手放すことが出来るのだろうか。

 そのためには、これまでの「優勝劣敗」思想を放棄し、新たな幸福追求の価値観を創出しなければならない。それは、力にものを言わせてきた米国が力に代わる価値を創り出すということである。

 が、時機があまりにも悪すぎる。今進行中のシナとの覇権争いには「力」が必要である。が、その「力」の基盤が国内で揺らいでいては「力」の出し様もなくなってしまう。であれば、「力」で国内を抑え込むしかない。残念ながら。【了】