保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

“Black Lives Matter”について(1) ~「黒人の命は大事」or「命も大事」?~

去る5月25日、米ミネアポリス近郊で、アフリカ系アメリカ人ジョージ・フロイド氏が警察官の不適切な拘束によって亡くなったことを契機として、米国のみならず世界各地で”Black Lives Matter”運動が巻き起こっている。

 まず私が気になったのは、この英語はどのように日本語に訳すべきかということである。最大の問題は「黒人の命も大事」と「黒人の命は大事」の助詞「も」と「は」の違いである。前者はNHK朝日新聞、後者は読売、毎日、日経、産経新聞が採用しているようだ。

 ”Black Lives Matter”は、黒人の命を蔑(ないがし)ろにしてきた米国社会への反乱である。"Black lives""not matter"じゃない。"matter"なんだという魂の叫びである。

 「黒人の命大事」は、黒人の命も白人と同じ命だ、黒人の命を差別するのはよくない、黒人の命「も」白人の命と同様に大切にしてくれという嘆願でしかない。

 一方、「黒人の命大事」は、黒人の命は大事か大事でないのかと問われれば、言うまでもなく、「黒人の命大事だ」という意味である。

 以上から、私は、”Black Lives Matter”は「黒人の命大事」と訳すべきではないかと考える。

 少しだけ、この問題の背景に踏み込んでみよう。

 米国Blackの祖先は、アフリカ大陸から強制連行された「奴隷」である。矢口祐人・東大教授は以下のように解説する。

《「Black/African American/黒人」とは、自身の意思とは無関係にアフリカで拉致され、財産として売り飛ばされ、幾世代にもわたりアメリカで強制労働に従事させられた人間を先祖に持つことを意味する》(「"Black Lives Matter"どう日本語に訳すかという本質的な問い」:現代ビジネス 6/18() 8:01配信)

 日本の在日の人たちを連想してしまうかもしれないが、在日は自由意思で海を渡り住み着いた人達とその末裔(まつえい)であり、米国の黒人とは事情がまったく異なる。

奴隷制度が撤廃された後も、黒人はアメリカ社会の激しい人種隔離政策のもとで搾取され続けた。

 アメリカにおいて黒人であるのは、この残酷な歴史の当事者としてのアイデンティを持つことである。それは今日のアメリカの富と繁栄が、黒人に対する途方もない不正義のもとに成立したものであるという事実を忘れないことでもある。

 さらにその富と繁栄の恩恵が、今でも自分たちには行き渡らないという問題を常に意識することでもある。黒人の労働こそがアメリカ社会を作り上げてきたにもかかわらず、社会的に「犯罪者」「危険」「無学」「貧乏」などというレッテルを貼られ続ける不条理に憤りを抱くことである》(同)

 米国は、いまだに白人が黒人を搾取する構造を脱し切れていない。だからこその”Black Lives Matter”のデモであり、箍(たが)が外れた者たちの暴動がある、ということなのだと思われる。【続】