保守論客の独り言

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東京五輪に政治問題を安易に持ち込むな!

《札幌ドームで24日に行われた東京オリンピック(五輪)のサッカー女子1次リーグE組の日本―英国で、英国チームの選手たちが試合開始前にピッチ上で片ひざをつき、人種差別に抗議した。日本の選手たちも同調した》(朝日新聞デジタル2021年7月24日 23時31分)

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試合前、ピッチ上で片ひざをつき、人種差別に抗議する熊谷紗希(右)と中島依美。手前は英国のウォルシュ④=2021724日、札幌ドーム、伊藤進之介撮影(同)

 おそらく多くの日本人は、この光景に少なからず「違和感」を覚えるに違いない。そもそも片膝をつくことがどういう意味か分かる人はどれだけいるだろうか。

Taking the knee has become a globalised symbol of fighting racism, initially gaining worldwide attention in American football with some players going down on one knee during the national anthem at the beginning of the game.

The act is now performed as part of the Black Lives Matter movement following the death of George Floyd while in police custody in Minneapolis in May last year. -- Daily Mail 18:14 BST, 20 July 2021

(跪(ひざまず)きは、人種差別と闘う象徴としてグローバル化し、当初アメリカンフットボールの試合開始時の国歌斉唱時に、一部の選手が片膝立ちになって世界の注目を集めた。

 その行為は、昨年5月、ミネアポリスで警察の拘留中、ジョージ・フロイドが死亡したことを受け、今やブラック・ライヴズ・マター運動の一環として行われている)

 つまり、片膝立ちを行うことは、昨年米国で大問題となった「ブラック・ライヴズ・マター(黒人の命は大切だ)」(BLM)運動に賛同することを意味することになるのである。

 米国には、かつて黒人を奴隷としていた歴史がある。好むと好まざるとに関わらず米国人はこの問題の「当事者」である。が、日本人にはそのような黒歴史はない。にもかかわらずどうしてこのような厄介な問題に自ら足を踏み入れなければならないのか。

 米国では、BLMが一部「絶対正義」と化し、黒人が白人に対し傍若無人な振る舞いを行う事件が頻発している。

 異国の人種差別問題の是非を理解し判断するのは容易ではない。安易な気持ちで一方の側に与(くみ)する態度を示すことは避けるべきではないか。

《主将のDF熊谷紗希によると、知り合いの英国選手から試合前の行為について連絡を受け、チーム全員で話し合ったという。「私たちも人種差別について考えるきっかけになった。イギリスの選手たちのアクションに対してのリスペクトという意味で、私たちもやろうと決めた」と説明した》(同、朝日新聞デジタル

 国情が違うのである。日の丸を背負っている以上、自分達だけで決められる問題でないことをもっと理解すべきである。

国際オリンピック委員会IOC)は、これまで五輪憲章50条に基づいて政治や宗教、人種的な意思表示を禁止してきたが、今大会からは競技会場でも試合前や選手紹介など一部に限って容認する方針としていた》(同)

 だとすれば、今回の政治的振る舞いはそれだけで非難されるべきものではないとも言える。IOCがどうして五輪会場における政治的意思表示を可としたのか知らないけれども、五輪競技が政治に左右されることのないように、これまで通り政治色を排除する方が良かったのではないか。