保守論客の独り言

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レジ袋禁止条例について

《7月からプラスチック製レジ袋の有料化が義務づけられる。大手コンビニが1枚3~5円に決めるなど、長年の慣行の本格的な見直しへ一歩を踏み出す》(6月14日付朝日新聞社説)

 これまでポイ捨てされてきた無料のレジ袋が、有料化されれば、ポイ捨てされなくなるなどということはないだろう。レジ袋が有料化されればマイバッグを持参する人が増え、レジ袋の使用量が減り、「脱プラごみ」につながるという理屈なのであろうが、コンビニにマイバッグ持参で行く人はどれほどいるのか大いに疑問である。

 「脱プラごみ」のためにレジ袋を有料化しようとする理屈が私にはピンと来ない。「千里の道も一歩から」といった壮大な構想なのかもしれないが、レジ袋が多少減ったとしても、プラスチックごみ問題は大差ないに違いない。

 朝日社説は京都府亀岡市の取り組みを取り上げる。

《きっかけは、保津川下りの起点として知られる市の観光業者の動きだった。川辺に多数のプラごみが散乱する状況に船頭の一部が危機感を募らせ、ゴミ拾いを始めたのが05年。2年後には住民有志や市議会議員らが加わって組織をつくり、市民運動として定着していった。

 その実績を踏まえ、市は18年に「プラごみゼロ宣言」をし、昨年春に産官学の協議会を立ち上げた。夏には大手スーパーをふくむ市内の小売業者の1割弱、六十数店舗で、まずレジ袋の有料化を実施。地区ごとに住民説明会を行い、アンケートでは7割が有料化や使用禁止に肯定的な回答を寄せた》(同)

 が、レジ袋が有料になれば保津川のプラごみが減るわけではない。保津川のプラごみに危機感を覚え、江戸の敵を長崎で討つかの如く、レジ袋を有料化する自治体は「異様」である。この取り組みを持ち上げる朝日社説もまた「異様」である。

 もし本気でプラごみを減らそうとするのなら、ペットボトルを無くし、ビニール包装もやめるしかない。要はプラスチック製品を無くせばよいのである。

 現実それは不可能であろう。だからアリバイ作りとしてレジ袋を有料化し、いかにも「脱プラごみ」に取り組んでいると自らを納得させているのだろう。が、言うまでもなくこれは「自己欺瞞」に過ぎない。

《レジ袋は国内で発生するプラごみ全体の数%に過ぎない事実も忘れてはならないだろう。

 焼却や埋め立て、再利用に回らなかったプラごみが、最終的に海へ流れ込み、汚染する問題への危機感は世界で強まっている。コーヒーチェーン店などでプラスチック製ストローの廃止が広がり、一部自治体ではペットボトルを減らそうと「マイボトル」運動も見られるが、こうした「点」の試みを「面」に広げていけるかが問われる》(同)

 問われているのは、我々がプラスチックの安価さや簡便さを手放すことが出来るのかどうかということである。一方で安さや便利さを謳歌しながら、他方でその功労者たるプラスチックを悪者扱いするのは余りにも虫の良過ぎる話ではないか。