北朝鮮による拉致の被害者横田めぐみさんの父、滋さんが亡くなった。
各紙社説も拉致被害者およびその関係者に寄り添うが如くこの訃報を扱っているが、私はその言葉の白々しさに虫唾(むしず)が走る思いがするのである。
《この悲劇を繰り返してはならない》(6月7日付朝日新聞社説)
<この悲劇>とは何か。北朝鮮が百名以上の罪のない日本人を拉致し、日本が本気でこの人たちを奪還しようとはしなかったことか。
未だに日本の平和主義者たちは憲法9条のお陰で戦後日本は「平和」を享受できてきたと胸を張る。が、実際は、憲法9条下で、北朝鮮による日本人拉致が平和裡(へいわり)に行われ、事件が公になっても武力攻撃を受ける心配がないと高を括り、北朝鮮は不誠実な対応を続けてきた。
であるなら、憲法9条を改正し、実力を行使してでも拉致被害者を奪還する姿勢を見せ、その上で平和的解決に向けた交渉を行うというのなら分かる。これまでのように「力の裏付け」のない外交交渉をいくら続けてもあしらわれてお仕舞である。
《拉致事件の多くは、韓国と北朝鮮の対立が厳しかった1970年代から80年代初めに起きた。工作員への日本語教育係の確保などが目的だ。ただ物証は乏しく、メディアも強い関心を払わなかった》(6月7日付毎日新聞社説)
メディアが<強い関心>を払わなかったのは親北朝鮮であったからであろう。北朝鮮は「世界の楽園」といった、今から思えば有り得ない情報を流し続けてきたのが当時のメディアであった。それどころか、当時は北朝鮮と呼称することすら出来なかった。テレビのニュースでは「北朝鮮、朝鮮民主主義人民共和国」と言うのが決まりであった。
辻元清美女史は次のように言い放った。
「拉致被害者が返ってこないのは当然!北朝鮮には何も補償していないのに、9、10人返せとばっかり言ってもフェアじゃない!」
これは辻元女史だけの問題ではなく、このような考え方が受け入れられる環境が当時の日本にあったということでもある。
要は、戦前の植民地支配で、日本人が朝鮮人に対し行った非道を謝罪する方が先だという口振りなのである。が、これは間違っている。
そもそも戦前日本は朝鮮を併合したのであて、欧米のごとく搾取目的で植民地化したのではない。
言葉や名前を奪っただのというのも話が反対である。朝鮮併合当時、ハングルは一般に使われていなかった。朝鮮全土に小学校を建て、ハングルを普及させたのは日本である。「創氏改名」も強制的に日本名に変えさせたのではなく、自由度があった。