保守論客の独り言

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「#検察庁法改正案に抗議します」と呟く流行り病(4) ~朝日の民主主義は勝手主義~

《権力の暴走を防ぐためにどんな仕組みをつくるか。三権の均衡と抑制をいかに図るか――。この民主主義の基本を首相は理解していないし、理解しようともしない》(5月12日付朝日新聞社説)

 朝日の言う<民主主義の基本>とは何か。まさか行政府に属する検察庁に政府の暴走を止めることを期待しているとでもいうのだろうか。

 政府が憲法に反して暴走しているというのであれば、司法が「違憲審査権」を行使すればよい。また、政府が法の抜け穴を使って暴走しているというのなら、国会でそれを止めるべく立法すればよい。

 また、最近の三権分立図の中央によく「国民」が置かれているが、国民は日常的に「世論」という形で政府を評価し、「選挙」を通じて政権を交代させることも出来る。これが「三権分立」というものであり、民主主義の「基本構造」なのではないだろうか。

《先週末、検察官の定年を延長する検察庁法改正案の審議を強行した安倍政権に対し、SNS上で批判や抗議が広がった…なぜこれだけ多くの市民が懸念をもち、異を唱えているのか立ち止まって考えるべきだ》(同)

 2つ指摘しておきたい。まず「#検察庁法改正案に抗議します」なるハッシュタグを作成した人物として、海渡雄一弁護士の名前が挙がっているということである。

 

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  さらに、おそらく影響力大であった「相関図」の作成者自身がいくつか誤りがあることを認め、図を削除したことである。

 

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  どこまでが巻き込んだ側で、どこまでが巻き込まれた側なのか難しいが、いずれにせよ国民が「情報判断力」を高めることが不可欠であることは確かであろう。

《検察官は行政府の一員ではあるが特有の権限と責務をもつ。捜査や裁判を通じて司法に深く関わり、ときにその行方が政権の浮沈を左右することもある。政治権力からの独立性が強く求められるゆえんだ》(同)

 このようなことを言う訳知り顔の人が少なくないようだが、このように言うことの方がむしろ「三権分立」に反するのではないか。行政府に属するが司法に深くかかわる検察庁とは三権分立図のどこに位置する存在なのか。このような考え方は裁判所と検察庁の癒着という問題にもつながる。また、もしこの独立性をもった組織が暴走すれば、誰がどのようにしてその暴走を止めることになると言うのか。

《安倍首相は「内閣が恣意(しい)的に人事をするという懸念は当たらない」と述べた。だがことし1月、長年の法解釈をあっさり覆して、東京高検検事長の定年を延長したのは、当の安倍内閣ではないか。法案は、この脱法的な行為を事後的に正当化するものに他ならない》(同)

 この指摘は当たっていよう。やはり順序が逆になってしまっている。法案の成立を待って定年を延長すべきであった。また、留任できるかどうかを恣意的に決めるのでないと言うのであれば、なんらかの基準が必要となろうが、そのような基準を作るのは困難であり、やはり時の内閣が判断するより他はない。それを「恣意的」と言われれば恣意的だと言うしかない。要は、時の政府が説得的に語ることが出来るかどうかにかかっているということである。<懸念は当たらない>では説得力がない。【続】