《日本は国連の女性差別撤廃条約を1985年に批准し、そのための国内法の整備として男女雇用機会均等法も制定した。
それらによって取り組みは一定進んだが、国際的にみれば実態は大きく立ち遅れている。
世界経済フォーラムが発表した2019年の「男女格差報告」で、日本は153カ国のうち過去最低の121位に沈んだ。先進7カ国では最下位だ。
特に政治分野は144位と深刻だ。地方議会で総定数に占める女性議員の割合は14%、EU各国の平均は30%超で、2倍以上の開きがある。国政レベルでも衆院約10%、参院約23%にすぎない。閣僚も19人中3人にとどまる。
115位の経済分野も、管理職に占める女性比率は12%にすぎず、安倍晋三政権が掲げる「女性が輝く社会」とは程遠い》(3月8日付京都新聞社説)
<男女格差>だけを取り上げて論(あげつら)っても意味がない。こういう「木を見て森を見ない」議論はやめるべきだ。
すべての分野で男女平等がよいなどというのは西欧産の「思い込み」でしかない。成程、EU各国の女性議員の比率は日本の2倍であるのかもしれない。が、そのことでEUの方が日本の2倍幸せであるわけではない。否、むしろEU諸国の方が2倍以上困った状態にある。
英国のEU離脱によってEUの求心力は弱まっている。英国がEU離脱を決めた1つの原因たる移民問題は各国の悩みの種である。
また、EU各国には日本にはないポピュリズムが台頭している。英国のEU離脱もポピュリズムの影響が大きい。
経済的にもうまく行ってはいない。中国を招き入れたイタリアがどうなっているか。新型コロナウイルスによる死者が極端に多いのは、中国との関係が密であるという事情もあろう。
これまでEUを主導してきたドイツも米中経済戦争のあおりを受け、中国依存の付けを払わされている。
こういった問題がどうして起こっているのかと言えば、根っこにフランス革命に端を発する「平等思想」があるからではないかというのが私の見立てである。近い将来、ソ連邦崩壊と同じ道をEUが辿らないとも限らない、否、その可能性は極めて高いように思われる。
話を京都社説に戻そう。
《背景には「男性は仕事、女性は家庭」という根強い考え方があると言われるが、それは男性に長時間労働を強いてきた要因の一つでもあろう。
「女性らしさ」「男性らしさ」といった刷り込みを超え、性差別のない豊かな関係を築いていく。そのための努力が社会全体にまだまだ足りない》(同)
無論、<性差別>は無くすべきである。が、<平等>が過剰となってEUのように身動きがとれなくなっては意味がない。大事なのは「公正」ということなのであって、文化に基づいた公正なる「格差」まで否定することは民族の歴史の積み重ねを否定することにはなりかねない。
<平等>などというマルクスの妄念は振り払わねばならない。【了】