保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

平等信仰を改めよ(1) ~平等は良い事なのか~

戦後日本において、「平等は良い事なのか」などと「平等」に懐疑の目を向ける人など余程の変わり者としか見られないだろう。進駐軍から授かった「自由・平等・博愛」は絶対的なものなのである。

 が、例えば、頑張って働いた者と遊び惚(ほう)けて働かなかった者とが<平等>に扱われる制度があったとしたらどうだろうか。おそらく頑張ることが馬鹿らしくなってしまうに違いない。

 このことを実地に証明したのが20世紀のソビエト社会主義共和国連邦であった。ソ連邦は気宇壮大な実験の末、<平等>を旨とする共産主義が非現実的な「妄想」でしかなかったことを明らかにし崩壊したのであった。

 自ら頑張ろうとする者がいなくなる社会、それが共産主義の末路である。下々の水準に合わせることによる<平等>、つまり、「下方平均化」こそが<平等>の本質である。

《妬みが定着すると水平化の現象となる。情熱的な時代が励ましたり引き上げたり突き落としたり、高めたり低めたりするのに反し、情熱のない反省的な時代はそれと逆のことをする。それは首を絞めたり足をひっぱったりする、それは水平化する。水平化するということは、なにごとによらずひどく人目につくようなことを避ける、ひそかな、数学的な、抽象的ないとなみである》(キルケゴール「現代の批判」:『世界の名著 40 キルケゴール』(中央公論社)桝田啓三郎訳、p. 391

 <平等>とは、劣者による優者への分け前要求である。「男女平等」もその1つであろう。

《男女平等がどれほど実現できているかを国ごとに数値化した「男女格差報告」(ジェンダー・ギャップ指数)が公表され、日本は156カ国中、120位だった。過去最低となった前回2019年の121位と同水準で、先進7カ国(G7)では他国に遠く及ばず最下位だ》(4月7日付山陽新聞社説)

 <ジェンダー・ギャップ指数>など条件を変えれば順位などどうにでもなる。つまり、優れて政治的なものだということである。否、そもそも<ジェンダー・ギャップ>が少ないことがどうして<良い事>なのか、私には分からない。

 3月30日、世界経済フォーラムが、「ジェンダー間の経済的参加度および機会」「教育達成度」「健康と生存」「政治的エンパワーメント」の4種類の指標を基に男女格差を算定し、「世界ジェンダー・ギャップ報告書2021」を発表した。

朝日新聞デジタル 2021年4月10日5時00分)

 「ルワンダ虐殺」で悪名高きルワンダが7位。他の上位国を見ても、どうして男女平等が<良い事>と言えるのかが分からない。【続】