保守論客の独り言

社会の様々な問題に保守の視点で斬り込みます

外国籍の子供の「学ぶ権利」について(4) ~外国人の歴史の誤り~

《「外国人の人権」を考えるとき、そもそもなぜ、その外国人が日本で暮らすこととなったのかを、きちんと理解することが、なによりも重要である。「不満があるのなら自分の国へ帰ればいいじゃないか」という、ある意味では素朴な、しかしときには悪意をもった感情は、この点への無理解に起因するものが多いと思われるからである》(浦部法穂『全訂 憲法学教室』(日本評論社)、p. 60)

 言いたいことは分からないでもない。が、以下の問題認識は間違っている。

《現在、在日外国人全体の約43%を占めるのが、韓国朝鮮籍の人である(約64万人)。その大部分は、1910年の「韓国併合」以来の日本による植民地支配のもと、とくに戦時体制下に「強制連行」などの形で日本に連れてこられた人およびその子孫である。「韓国併合」で、朝鮮の人たちは、自分の意思にはまったくかかわりなく「日本人」(「帝国臣民」)とされ、日本の戦時体制に動員されたのである。

これらの人々は、しかし、日本の敗戦(1945年)そして講和条約の発効(1952年)により、再び本人の意思にかかわりなく、日本国籍を喪失したものとされ、外国人の地位に置かれることとなった。いわば、日本の都合で、勝手に「日本人」にされ、また、勝手に「外国人」にされた人たちである》(同)

 戦時体制下における「朝鮮人強制連行」の話は、日本を自虐史観に閉じ込めようとする情報戦の最たるものであり、余りにも日本社会に広く広まっているので簡単に認識を改めることは出来ないであろうが、例えば、故・權聖姫(クォン・ソンヒ)女史は次のように証言している。

済州島の家に帰ってみると、父の弟が日本から帰ってきていました。その叔父は5、6年も前に日本へ行ったきり便りも寄越さなかったんですが、元気そうな様子で帰ってきたんで、みんな大喜びでした。叔父の日本の話しはいいことずくめでした。その中でもわたしにとって印象的だったのは、白いご飯を毎日三度々々食べられるということでした。わたしにとっては夢のような話しでした。

 「わたしを日本に連れてって!」

 わたしは夢中になって叫びました。叔父にすがってせがみました。

 「日本では乞食まで白いご飯を食べるって言ったじゃない?ここではいくら働いても、働いても、麦と栗とお芋しか食べられないじゃない? わたしおなかいっぱい白いご飯さえ食べられるんなら、なんでもする。どんなにでも働く。お願いだから連れてって!」

 わたしがあまりしつこく頼むので、叔父もとうとう折れて、

 「今度行くとき連れてってやる」

と言ってしまいました。いくらなんでも、おまえのような子どもではどうしようもないとか、何とか言ってましたけどね。

 わたしは嬉しくって、嬉しくって、天にも昇る思いで、じっとしていられなくて外に飛び出し、近くの丘に登って大声でわめきました。

 「わたし日本へ行くんだよ、日本へ行くんだよう」

って。すると、近所の人たちがみな飛び出して来て、わたしを見ると、

 「ああ、かわいそうに。とうとう気が狂ったんだよ、あの子は。江原道で海女がよっぽどつらかったんだろう」

なんて言いながら、わたしを見ているんです。そこでわたしは言ってやりました。

 「わたしは正気よ。気なんか狂っちゃいないよ。日本へ行くと、白いご飯が食べられるんだって。叔父さんから聞いたんだから、本当の話しよ」

って、みんなに話して聞かせました。みんなはわたしの話しを開くと、

 「いいわね」

 「いいわね」

って、羨ましがっていました。

 白いご飯が食べられるって、そのことがどんなに重大なことかわかりますか?

 朝鮮ではね、その頃食事というと、大きな釜でご飯にあたるものを炊いて、そのまんまお膳の真ん中に置きます。お菜はそれぞれのお皿につけ分けます。お釜のご飯はめいめい好きなだけすくって食べるんです。それがお米のご飯なんてことはほとんどありません。お芋入りの雑炊です。子どもたちはお芋を避けてすくいます。じゃまになるお芋はあっちにごろごろ、こっちにごろごろ転がって残ってしまいます。そんなとき、いつも母さんは言うんです。

 「お芋が嫌ならいいんだよ。残してお置き。母さんが食べるからね。嫌なもの無理に食べなくていいんだよ」

ってね。お芋を除けば、後は水のような栗粥があるだけなんです。そのうち、あれ程嫌がったお芋だって貪(むさぼ)って食べるようになりました。(『百万人の身世打鈴 朝鮮人強制連行・強制労働の「恨(ハン)」』(東方出版)、pp. 34-35)【続】