《これほどまでに日本国憲法をないがしろにした政権は、過去に例がなかろう。歴代内閣が維持してきた憲法解釈を一方的に変更して、集団的自衛権の一部行使に道を開いた》(11月20日朝日新聞社説)
例によって、同様の批判が幾つか見られる。
《安倍政権は、それまで憲法違反とされていた「集団的自衛権の行使」を一転容認し、安全保障関連法の成立を強行した》(11月20日付東京新聞社説)
《国会では安全保障法制など立憲主義の土台を崩す法律を数の力で強引に通す一方、都合の悪い問題にはまともに答えず、立法府を形骸化させた。その責任は重い》(11月19日付北海道新聞社説)
《国民の知る権利を脅かす特定秘密保護法、歴代内閣が憲法解釈で禁じてきた集団的自衛権行使を一部容認する閣議決定と、それに基づく安全保障関連法などだ。いずれも根強い反対意見を押し切ってまで進める必要があったのか、今も疑問が残る》(11月21日付神戸新聞社説)
私も「集団的自衛権の行使」容認は違憲であると考えるが、憲法守って国滅ぶというわけにはいかないのであるから、時として「勇み足」があってもそれだけで批判しようとは思わない。が、「勇み足」は可及的速やかに解消すべきであり、安倍政権の問題は集団的自衛権に関する違憲状態を放置し続けているところにあると言える。
要は、現実に合わせて憲法改正を行うべきだということであるが、今安倍首相が提出している改憲案では違憲状態を脱することは出来ない。少なくとも憲法9条2項は削除しなければ集団的自衛権を行使することは出来ない。
北東アジアにおける集団的自衛の必要性が高まっている中で、ただ一国平和主義を唱え協力を拒むような無責任な人達とは一線を画すけれども、だからと言って度が過ぎた憲法解釈、すなわち、「違憲状態」を放置し続けるのは法治国家として許されるべきことではないだろう。
《少子高齢化と人口減少を「国難」とする安倍首相の認識に異論はない。安定政権でなければ克服し難い課題といえる。
ところが、掲げた看板は「女性活躍」「地方創生」から「1億総活躍」「働き方改革」「全世代型社会保障」へ、めまぐるしく変わった。目先を変えて「やってる感」を醸し出す狙いだろうが、どれも十分な成果を上げたとは言えない》(同、神戸新聞社説)
<看板>を見れば、安倍政権が親社会主義・共産主義的左翼政権であることが分かる。したがって、安倍政権を批判すべきは右寄り政治家やマスコミの方でなければならない。が、批判の声が一向に上がってこないのは、そのような立ち位置にいる人達が最早(もはや)いなくなってしまっているのではないかと心配するのは杞憂(きゆう)であろうか。【続】